1969年の軌跡

1月 2日
「ゲット・バック」セッションと呼ばれるレコーディングとフィルム撮影を1月15日までトゥイッケナム・フィルム・スタジオで行う。
10日
ポール・マッカートニーとの不和がもとでジョージ・ハリソンが一時グループを離れる。セッション中に意見の食い違いがあり、ジョージが数日間グループを離れる。
12日
ジョージ、映画『ワンダーウォール』のプレミア・ショー(ロンドンのシネセンタ・シネマ)に出席。
15日
ジョージ復帰。
17日
サウンドトラック盤「Yellow Submarine」をリリース。アルバム『イエロー・サブマリン』がイギリスで発売される。
22日
ジョージが連れてきたビリー・プレストンが、レット・イット・ビーのレコーディング・セッションに加わる。アップル・スタジオで「ドント・レット・ミー・ダウン」、「ディグ・ア・ポニー」などをレコーディング。
23日
「ゲット・バック」のレコーディング。
25日
「フォー・ユー・ブルー」、「バイ・バイ・ラヴ」などのレコーディング。
26日
「ディグ・イット」、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」などのレコーディング。
30日
アップルの屋上で予告なしのライブパフォーマンス、いわゆるルーフ・トップ・コンサートを行う。サビル・ロー周辺は交通渋滞となり、警察がかけつけてライヴは終了する。これがビートルズとしての最後のライブとなる。
   
2月 2日
オノ・ヨーコ、トニー・コックスと離婚。
3日
リンゴ・スター、映画「マジック・クリスチャン」の撮影を開始。5月2日まで行う。アラン・クラインが、ポールを以外の3人のメンバーの意向によりビートルズのマネージャーに就任。
4日
ポールは、リンダ・イーストマンの父リー・イーストマンと兄ジョン・イーストマンをアップル・コープスの顧問に招く。
7日
ジョージ、扁桃腺の手術のために入院
20日
ジョージ、自宅のスタジオで「UNDER THE MERSEY WALL」のレコーディングを行う。このテープは後に「ELECTRONIC MUSIC」に収められ発表された。
21日
メアリー・ポプキン、アルバム「ポスト・カード」をリリース。ポールとドノバンが何曲かギターで参加。ジャケットはポールのデザインで、裏ジャケットにはポールの手書きの曲目表が載っていて、写真撮影はリンダが行う。
29日
リンゴとピーター・セラーズの共演映画「THE MAGIC CHRISTIAN 」の撮影がロンドンで開始。
 
3月 12日
ポールとリンダは、メリルボーン登記所で結婚式。結婚式前夜にポールはジャッキー・ロマックスの「Thumbin' A Ride」のレコーディングをしており、結婚式の当日の夜には再びスタジオ入りし仕上げにかかる。このセッションにはジョージ・ハリソンとビリー・プレストンも参加。この日ジョージとパティがマリファナ所持の疑いで検挙される。
16日
ポールは、リンダとリンダ(前の夫との)娘とニューヨークに向かう。リンダの両親達のもとで3週間ほど過ごす。
20日
ジョン、ジブラルタルでオノ・ヨーコと結婚。
21日
アラン・クレインは正式にビートルズのビジネス・マネージャーに就任。3年の契約を結ぶ。
25日
ジョンとヨーコはこの日から3月31日まで、アムステルダムのヒルトン・ホテルで「ベッド・イン」をして平和を訴える。
28日
メアリー・ポプキンはポールの作品「グッドバイ」をリリース。ポールは彼女とデュエットし、ギターも弾いている。
30日
ジョンとヨーコ、「GIVE PEACE A CHANCE」をレコーディングする。
 
4月 11日
19枚目のシングル「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」をリリース。全世界で500万枚以上を売る。ピアノにビリー・プレストンが参加。
14日
ジョンとポール、アビイ・ロード第3スタジオで「ジョンとヨーコのバラード」のレコーディングとミキシングを行なう。
22日
ジョンはアップルの屋上でミドルネームをウィンストンからオノに変更する改名式を行う。
26日
ポールは死亡説について、スコットランドを訪れた記者に語る。「僕は見てのとおりとても元気だ。」
5月 3日
「ゲット・バック」が『メロディ・メイカー』誌のチャートで1位に(5月31日まで5週連続)。
8日
ポールを除く3人がアラン・クラインをビジネス・マネージャーに任命。
9日
アップル傘下のザップルからジョンとヨーコの「『未完成』作品第2番〜ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ」と、ジョージの「電子音楽の世界」をリリース。
19日
ジョンとポールは、「ヘイ・ジュード」でアイバー・ノベロ賞を受賞。
26日
ジョンとヨーコ、モントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルで2度目の「ベッド・イン」。6月2日まで行う。
28日
アップル・スタジオとEMIスタジオで制作続けられていたニューアルバムの制作が終了するアルバムタイトルは『GET BACK,DON'T LET ME DOWN AND 12 OTHER SONGS』と考えられていた。
30日
20枚目のシングル「The Ballad of John And Yoko」をリリース。ビートルズ初のステレオ・シングルである。この曲はジョンとポールの2人だけでレコーディングが行われ、またこの2人が共にレコーディングをした最後の曲であり、ビートルズ最後のNo.1シングルでもある。B面は「Old Brown Shoe」
 
6月 1日
ジョン、「Give Peace A Chance」をレコーディング。
6日
ポールとリンダは、デヴォンの土地を下見に行く。
14日
ジョンとヨーコ、ストーンブリッジ・ハウス・スタジオでテレビ番組『デビッド・フロスト・ショー』の公開録画(7月10日放送)を行う。
 
7月 1日
ジョンとヨーコ、ジュリアンとキョーコとともにスコット・ランドをドライブ中、ジョンが誤ってハイウェーをはみだし全員負傷。ローソン・メモリアル病院に入院する。ジョンは顔を17針、ヨーコは頭を14針縫う大けが。アビー・ロード・スタジオでアルバム「Abbey Road」のための本格的なセッションを開始。
2日
リンゴとモーリン、プラスチック・オノ・バンドの最初のシングル「平和を我らに」の発売を記念して開かれたレセプションに事故で怪我をしたジョンとヨーコの代わりに出席。
21日
アビイ・ロード・スタジオで「カム・トゥゲザー」をレコーディング。EMIを退職しアップル・スタジオのチーフ・バランス・エンジニアとなっていたジェフ・エメリックがビートルズのセッションに復帰。(写真はジェフ・エメリックです。)
24日
ポール、アビイ・ロード第2スタジオでリンゴが出演した映画『マジック・クリスチャン』のテーマ曲「カム・アンド・ゲット・イット」のデモ・テープをバッドフィンガーのために作る。
8月 5日
 ジョージがアメリカで購入したモーグ・シンセサイザーをレコーディングに導入。「ビコーズ」のオーバーダビングに使う。
8日
アビイ・ロード・スタジオ前で、アルバム『アビイ・ロード』のジャケットのためのフォト・セッション。カメラマンはイアン・マクミラン。6カット撮影し、5カット目がジャケットに採用される。
20日
ビートルズの4人のメンバー全員が顔をそろえた最後のスタジオ・セッション。
22日
最後のフォトセッション。
28日
ポールとリンダの間に、メアリー・マッカートニーが誕生。ロンドン療養院にて。
31日
ジョンとヨーコ、ジョージとパティ、リンゴとモーリン、ディランのコンサート見るためワイト島へ。
   
9月 10日
ロンドン現代芸術学院でバッグ・ハプニング・ショー「ジョンとヨーコの夕べ」が開催される。
13日
ジョン、プラスティック・オノ・バンドとして、ヨーコ、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトらとともに「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル・フェスティヴァル」に出演。
26日
アルバム「Abbey Road」をアップルからリリース。ビートルズが最後にレコーディングをしたアルバム。
28日
 ジョン、ヨーコ、リンゴ、クラウス・フォアマン、エリック・クラプトンの5人、トライデント・スタジオで「コールド・ターキー」(プラスティック・オノ・バンド名義でリリース)をレコーディングする。
10月 9日
ヨーコ 流産のため入院。
16日
ビートルズはノーザン・ソングスの持ち株をATVに売却するとの声明を発表。
22日
ポールはアメリカ中に広まった「ポール死亡説」について、「イブニング・スタンダード」誌に対し、「僕が死んだの?本当?どうして誰も僕に何も言ってこないんだろう。」と語る。
24日
ポール死亡説の真相を明らかにするため、BBCの記者クリス・ドレイクがスコットランドのポールの農場を訪れ、確かに生きているというポール自身の証言を録音する。
27日
リンゴ 初めてのソロ・アルバム SENTIMENTAL JOURNEYの制作を開始。
31日
両A面のシングル「Something / Come Together」をリリース。ジョージの作品が初めてA面になった。チャートは5位止まり。
   
11月 7日
ジョンとヨーコのアルバム『ウェディング・アルバム』イギリスで発売。
25日
ジョン、イギリスのナイジェリア干渉やベトナム戦争支持などに抗議し、1965年に受けたMBE勲章を女王に返還。勲章は運転手が朝バッキンガム宮殿に届け、ジョンはアップルのオフィスでマスコミのインタビューを受ける。
   
12月 2日
ジョージ、ブリストルでのデラニー&ボニーのコンサートに飛び入り出演。
11日
ロンドンのケンジントン・オデオンでTHE MAGIC CHRISTIANのプレミア・ショーが開催される 出席者はリンゴ夫妻、マーガレット王女 ジョンとヨーコ等。
15日
ジョンとヨーコ、世界各国主要22都市に向けてポスターを発送。大々的な平和キャンペーンを行う。ポスターに書かれたメッセージは「War Is Over/ If You Want/Happy Chrismas from John and Yoko」。ロンドンのライシアム・ボールルームでジョンとヨーコ、ジョージ、クラプトン、プレストン等総勢16人からなるプラスチック・オノ・バンドがユニセフを援助するポップ・コンサート「ピース・フォー・クリスマス」に出演。ビートルズの二人がそろってステージに立ったのは3年半ぶりだった。ライブのもようは1972年6月発売のアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録される。1963年に出版されて以来定期的に刊行されていた「BEATLES MONTHLY」が廃刊になる。
16日
ジョンとヨーコ、平和キャンペーンの一環として"WAR IS OVER (IF YOU WANT IT)"(あなたが望めば戦争は終わる)の広告板を世界11都市の街角に掲げる。
24日
BBCテレビでリンゴ主演ジョージ・マーチン制作によるフィルムWITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDがクリスマス特別番組として放映される。
     

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