1968年の軌跡

1月 4日
ポールとジェーン、ロンドンのパビリオン劇場で開かれた映画「ザ・マーベリー・ブッシュ」のプレミア・ショーに出席
5日
「Magical Mystery Tour」、BBCテレビで再放送。
7日
ジョージ、映画「ワンダー・ウォール」のサウンド・トラックのレコーディングのためインドに行く(16日帰国)
9日
ジョージ、ボンベイのEMIレコーディング・スタジオでサントラの制作開始(12日まで)。
10日
日本で「ハロー・グッドバイ」発売。
12日
ジョージ、「ジ・インナー・ライト」のインストゥルメンタルをレコーディング(演奏はインドのミュージシャン)。ビートルズ・フィルム・プロダクションがアップル・フィルムに、アップル・ミュージックがアップル・コープスに社名変更。
15日
ジョージ、ラヴィ・シャンカールの自伝映画RAGAのサウンドトラックのレコーディング・セッションに参加する。
18日
ジョンとシンシア、俳優のビクター・スピネッチを連れてモロッコに旅行。
19日
グレープフルーツのシングル「ディア・デリラ」発売。ジョンとポールが彼らのセッションに立ちあい、プロデュースの手助けをしたと発表される。NMEで「ハロー・グッドバイ」が4位に、『サージェント』が2位にダウン。
22日
アップル・コープス、ウィグモア・ストリートで業務開始。ポール、シュープリームスのロンドン公演を見る。
23日
ジョンとシンシア、モロッコから戻る。
25日
ジョンとジョージ、デザイナーのオジー・クラークのファッション・ショーを見る(のちにジョージはクラークと仕事をすることになる)。
26日
ポール、弟のマイク・マクギアとロジャー・マッゴーのレコーディングに参加。
27日
ジョン、ラジオ番組のためケニー・エヴェレットのインタビューを受ける。
30日
シラ・ブラックがBBCテレビでシリーズ番組をスタート。番組のテーマ曲にポール作曲の「Step Inside Luv」が使われる。
 
2月 4日
レイセスター・アーツ・フェスティバルの宣伝のために、ポールはロンドンのロイヤル・ガーデン・ホテルで記者会見。ある学生の説得にポールが負けて行うことになった。
10日
「Magical Mystery Tour」がオランダで放映される。オランダ・テレビの会長は「今まで散々悪い評判を聞いていましたが、実際に見てみるとそれ程にひどい作品ではありませんでした」と語る。ポールとジェーン・アッシャーは、スキャッフォルドとともに出演しているマイク・マクギアを見にクイーン・エリザベス・ホールに現れる。
16日
ジョージとパティ、ジョンとシンシア、マハリシ・マヘシ・ヨギのもとでの瞑想を学ぶためインドのリシケシュへ向かう。3日後にはポールとジェーン、リンゴとモーリーンもインドに向けて出発。
19日
ポール、ジェーン、リンゴ、モーリンもインドに向かい、ジョンやジョージたちと合流。メンバーの4人はこの時から4月にかけてメディテーション習得のためにインドに滞在する。後に、ミア・ファーローとビーチ・ボーイズのマイク・ラブが加わる。
24日
ポールは「イブニング・スタンダード」紙に、「僕たちは今もっている大金を貯め込むんじゃなくて、アップルで何か事業を始めようと思っているんだ。僕たちに必要な金は十分すぎるほどあるんだよ ― 家も、車も、金で買えるものはほとんど持っている」 と語る。
     
3月 1日
リンゴとモーリン、予定よりもかなり早くマハリシのキャンプを去り、ロンドンに戻る。
9日
アルバム「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」がグラミー賞の4部門 (本年度最優秀アルバム賞、最優秀コンテンポラリー・アルバム賞、最優秀レコーディング賞、最優秀アルバム・カバー賞) を受賞。
15日
17枚目のシングル「Lady Madonnna / Inner Light」をパーロフォンからリリース。パーロフォンでの最後のシングル。B面ではあるがジョージの曲が初めてシングルに収められる。リンゴ ビートルズの代表としてグラミー賞授賞式に出席 SGT.が受賞対象で最優秀コンテンポラリー・アルバムにも選ばれた。
26日
ポール帰国。
4月 12日
ジョン帰国。ジョージはマドラスへ。
20日
アップルは「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙に無名のソングライターやミュージシャンを援助したいとの広告を掲載。ポールは「デイブ・メイソン、デニー・レインといった才能ある人が認めてもらうのに苦労をするというのはずいぶんおかしいことだと思う」と語る。
30日
ポールがブラッドフォードで、ブラック・ダイク・ミルズ・バンドの指揮を務める。曲は「Thingumybob」で、これはポールがロンドン.ウィークエンド.TV・コメディ・シリーズのために書いたもの。
 
5月 5日
この日テレビ番組「Opportunity Knocks」でメアリー・ポプキンと顔を合わせたトゥウィッギーは、後にポールにメアリーについて話す。ポールはその話を聞いて電話でメアリー・ポプキンにアップルでレコーディングをしてみてはと勧める。
11日
ジョンとポール、アップル関係の商談及びアメリカのタレントの新人発掘のため、デレク・テイラー、ニール・アスプナル、マルコム・エバンス等とともにニューヨークへ向かう。
14日
アメリカを訪れたジョンとポールは、自分たちの会社であるアップル・コープス・リミテッド設立を発表。ポールはその記者会見の席上で、リンダ・イーストマンと再会する。
15日
リンゴ ジョージの両夫妻 カンヌで開かれた WONDER WALLの特別試写に出席。
19日
ジョンとヨーコは、ケンウッドのジョンの自宅でサウンド・コラージュのレコーディングをする。2人の関係がはじまる。このときの録音を約半年後に「トゥー・ヴァージンズ」として発表する。
21日
ポールとジェーン・アッシャーは、ロンドンでアンディ・ウィリアムズと昼食をとる。その晩ロイヤル・アルパート・ホールで行われたアンディのコンサートに行き、公演後のパーティーにも参加。
22日
ジョンとヨーコ、ジョージ、2軒目のアップル・ブティックのオープンにあたりロンドンのニュー・キングス・ロードでのパーティと記者会見に出席(ジョンとヨーコは初めて公の場にそろって現れる)。
30日
アルバム「THE BEATLES」レコーディング開始。
6月 7日
ジョージとリンゴ、ラヴィ・シャンカールの映画「RAGA」に出演するためハリウッドに向かう。
8日
ポールとジェーン・アッシャーは、キャロッグ・メリヤネスで行われた弟マイク・マッカートニーと彼のヘア・スタイリスト、アンジェラ・フィッシュウィックの結婚式に出席。「メロディー・メーカー」紙のインタヴューでポールは、マハリシとのインドでの修行中にビートルズは20曲の新曲を作ったと語る。ジョージとリンゴ、カリフォルニアにいるジョーン・バエズを訪ねる。
11日
ジョンがアビイ・ロード第3スタジオで「レボリューション9」のサウンド・エフェクトを編集しているあいだに、ポールが第2スタジオで「ブラックバード」をレコーディングする。
20日
「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙は、ビートルズがアメリカのキャピタル、イギリスのEMIとの契約を結び、今後のレコードは全てアップル.レーベルからリリースし、また、今後3年間、両会社はアップルの全てのレコードをディストリビュートすると発表。
21日
ポール キャピトル・レコードとの契約更改のためハリウッドに向けて出発 これ以後レコードはすべてアップルレーベルに改められた。
22日
「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙は、ポールがアメリカTVのデイヴィット・フロストとの約1時間に及ぶインタヴューをフィルムの収めたと発表。「デイリー・テレグラフ」紙は、アップルが元ジャック・ヒルトン・オーガニゼーションの本部だった3サルヴィル・ローのビルを買い取ったと報じる。面積は12000スクウェア・フィート。値は50万ポンド。
   
7月 1日
ジョンとヨーコのアート展「ユー・アー・ヒア」開催。
8日
アップルは、ブライトンで催された子供達のためのビーチ・ショーに補助金を出す。主催者は俳優のデイヴィット・ピールで、ショーは「Apple Peel」と命名された。ピールは、「このアイディアをポールに話すと、彼はすぐにOKをくれた。タイトルはポールのアイディア。」と語る。4人揃って「イエローサブマリン」のプレス・レセプションに出席。
9日
アビイ・ロード第3スタジオで「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のリメイクと「レボリューション」のリハーサル。あいまにリンゴはソロモン・キングのセッションに手拍子で参加。
17日
アニメ映画「Yellow Submarine」のプレミア・ショーがロンドン・パビリオンで開かれる。ポールは1人で現れ、ジョンはヨーコと、リンゴはモーリンと来る。
18日
アビイ・ロード第2スタジオで「クライ・ベイビー・クライ」のレコーディング完了。「ヘルター・スケルター」の長いリハーサル・バージョンも録音。
20日
ジェーン・アッシャーは、BBCTVの「Dee Time」に出演し、ポールとの婚約を解消したと語る。7ヶ月に及ぶ婚約を破棄したのは自分ではないとする。
25日
エリック・クラプトンを迎えて「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」のレコーディングが行われる。
26日
ジョンとポール、ポールの自宅で「ヘイ・ジュード」を書きあげる。
28日
数名のフォトグラファーとともに、撮影できそうな場所を求めてロンドン中をまわるフォト・セッション「怒涛のロケハン」を敢行。
30日
アップル・ブティック閉店。ポールは、「ぼくらは先週の土曜日にアップル・ブティックを閉店することに決めた。いや、儲かっていないからやめるというわけじゃない。小売りがぼくらに合わなかったからだ。で、ぼくらは店に行って自分の好きな物を持って帰った。ぼくはとても素敵なコートをもらった。そして、友達に言ってまわった。店に残っている物はみんな無料だから、好きなだけ持ってっていいよって。」と語る。
     
8月 1日
アップル・ブティック事業のマネージメントに関する批判が広まり、ポールは「デイリー・メイル」紙に、「ぼくらはいつも自分達の失敗をみんなの前にされすんだ」と語る。
2日
ロンドン・ウィークエンド・テレビ・コメディ・シリーズ「Thingumybob」がスタート。テーマ曲はポール。ブラック・ダイク・ミルズ・バンドが演奏。
3日
「ディスク&ミュージック・エコー」誌は、ポールがフランという女性を連れて「レヴォルーション・クラブ」に現れたと報じる。アップルのスポークスマン、デレク・テイラーは、「彼らの個人的なことについて、私は何も知らない」と語る。
7日
ポールとその友人たちは早朝にアップル・ブティックに出かけ、ショーウインドーに白いペンキで「Hey Jude」や「Revolution」などと落書きをする。ポールは、「イヴニング・スタンダード」紙に、「ただ冗談で、ウインドーに落書きしようと思いついたんだ。こういう時、普通ならどうするんだろう。」と語る。
11日
アップル・レコード・レーベル、レコード部門の専門活動を開始する。第1弾のリリースは、ポールが指揮をするブラック・ダイク・ミルズ・バンドの「Thingumybob」。
16日
アップルはポールのプロデュースによるメアリー・ポプキンの「Those Were The Days」をリリース。4ヶ月で400万枚のセールスを記録。
22日
アビー・ロードでのレコーディング・セッションの最中にリンゴが出て行く。10日ほどで戻る。シンシア・レノンは、夫のジョンがヨーコ・オノと不義を犯したかどで離婚訴訟を起こす。のち勝訴。
26日
18枚目のシングル「Hey Jude / Revolution」をアップルからリリース。全世界で大ヒットし、ビートルズのシングルの中で最も売れた作品となる。トウィッケンハム・フィルム・スタジオでHEY JUDE・REVOLUTIONのプロモーション・フィルムが作成される 監督はマイケル・リンゼイ・ホッグ 36人編成のオーケストラと300人のエキストラが参加。
29日
ジョージ、オリビア・トリニダート・アリエスと結婚。
30日
シングル「Hey Jude」発売。
    
9月 3日
リンゴ、ビートルズに復帰。
9日
ジョージ・マーティンが長期休暇のため、クリス・トーマスがこの日から10月1日までアルバム『ザ・ビートルズ』のプロデューサー代理をつとめる。
14日
「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙は「Hey Jude」が200万枚売れたと発表。ポールは、「メロディー・メーカー」紙に「僕はエルヴィスのアルバムをプロデュースしてみたいと思っている。彼の今までのアルバムはあまりいいプロデュースがされていないように思う。僕はエルヴィスが大好きで、いいプロデュースができるだろうという自信もあるんだ。」 と語る。
18日
アビイ・ロード第2スタジオで「バースデイ」をレコーディング。オノ・ヨーコとパティ・ハリスンもバック・ボーカルで参加。
30日
初のビートルズ公認の伝記『ザ・ビートルズ』(ハンター・デイビス著)がイギリスで出版される。
     
10月 8日
アビイ・ロード第2スタジオで「ロング・ロング・ロング」「アイム・ソー・タイアード」「コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロウ・ビル」の3曲を完成させる。「バンガロウ・ビル」ではオノ・ヨーコがビートルズのレコーディングで初めての女性ボーカル・ソロをとる。
12日
ジェーン・アッシャーは「イヴニング・スタンダード」紙に「すごく感傷的に聞こえるだろうことはわかるけど、わたしとポールは今でもいい友達。わたしたちは互いに愛し合っているんだけどうまくいかなかった。ただそれだけ。いつかわたしたちが70歳くらいになたとき、また昔のように戻って結婚するかもしれない。」語る。
16日
ジョン、ポール、ジョージ・マーティンとエンジニアらがアビイ・ロードの全スタジオと試聴室を使ってアルバム『ザ・ビートルズ』のために、午後5時から翌日午後5時まで24時間のミキシング・セッション。ジョージはジャッキー・ロマックスをプロデュースするためパティとともにロサンジェルスへ飛ぶ。
18日
ジョンとヨーコ、マリファナ不法所持で逮捕される。
11月 1日
ジョージのソロアルバム「WONDERWALL」発売。
3日
ジョージ、カリフォルニアで電子音楽の専門家バーニー・クラウスとともに、ムーグ・シンセサイザーを使って25分間のインストゥルメンタル曲「超時間・超空間」をレコーディング。この曲は1969年にリリースされたジョージのソロ・アルバム『電子音楽の世界』に収録された。
8日
ジョンとシンシアの間で離婚が成立。
22日
初のダブル・アルバム「The Beatles」をアップルからリリース。「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙は、「Hey Jude」の売上げは今や世界で600万枚を超えたと報じる。ヨーコ、流産。
29日
ジョンとヨーコのアルバム「TWO VIRGINS」発売。



12月 7日
「ディスク&ニューミュージック・エコー」誌は、ポールが新しいガールフレンド、リンダ・イーストマンを見つけたと報じる。リンダは「ローリング・ストーン」紙や「ニューヨーク・タイムズ」紙で活躍中の女性カメラマン。アメリカ特派員が言うには、「ポールガニューヨークに立ち寄った時2人がすでに親しげだったことからこの噂は広まった。」
10日
ジョンとヨーコ、ローリング・ストーンズが企画したテレビ番組『ロックンロール・サーカス』の収録に参加(翌日も)。当時は放送されず、1996年に初めてビデオ、CDとして公式発売される。
23日
アップルの本社でクリスマス・パーティが開かれ、ヘルス・エンジェルスも出席。騒々しいパーティとなる。ジョンとヨーコはサンタクロースに扮し、参加した子どもたちにプレゼントを配る。
 

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