1967年の軌跡

1月 5日
「ペニー・レイン」とイベント「カーニバル・オブ・ライト・レイプ」のためレコーディング。NMEの1966年のヒット曲調査でビートルズは第6位。シングル部門で「エリナー・リグビー」11位、アルバム部門で『ラバー・ソウル』2位、『リボルバー』4位。
6日
ポールが自動車事故で死んだというニュースがロンドンで広まる。
7日
米レコード産業組合の調査によると、1966年度のゴールド・ディスク獲得番付でビートルズが6個のゴールド・ディスクを獲得し、またも第1位になる。ポールが自動車事故で死んだと噂される。ジョンとポール、ロンドンのクロムウェリアン・クラブで開かれたジョージー・フェイムの恋人のバースデイ・パーティに出席。
8日
”サンデー・タイムズ”紙は、国立劇場がシェークスピア演劇”お気に召すまま”の音楽担当をポールに依頼したが、ポールがそれを断ったと報じる。
11日
「ペニー・レイン」に効果音を入れる。
12日
「ペニー・レイン」にふたたびクラシック楽器のオーヴァーダブ。ポール、ジェーンのアメリカ行きを前にセント・ジョンズ・ウッドの家でふたりきりのディナーを楽しんだと報道される。
13日
ポールとリンゴ、ジミ・ヘンドリックスのコンサートを見る。
15日
ジョンとシンシア、ロンドンで車の衝突事故に巻き込まれるが軽症。ジョン、ポール、ジョージの3人がドノバンのコンサートを見る。
18日
エプスタインとビートルズ、3作目の映画のシナリオを承認。
20日
前日のレコーディングの続き。
21日
ポール、チェルシーでジェリー・フェリックスのパーティに出席。
23日
ポールがSUNDAY TIMESの記者に「ビートルズは解散状態にある」と語ったと言うニュースが流れ大騒ぎになる。サンデイ・タイムズ紙がビートルズ解散をほのめかして大騒ぎになる。
27日
ビートルズ、EMIと9年間のレコーディング契約を結ぶ。
28日
ポールとジョージ、フォー・トップスのコンサートを見る。

Four Tops:
モータウンを代表する男性コーラス・グループ、フォー・トップス。リードを取るリーヴァイ・スタッブスの男気100%のストロング・スタイルとジェントルでオーソドックスなコーラスの一体感は、プロデュース・チーム、ホランド=ドジャー=ホランドの製作するポップで軽快に弾む楽曲の魅力を最大限に引き出した。「キャント・ヘルプ・マイセルフ」(65年)や「セイム・オールド・ソング」(65年)などのキャッチーなリフ・ナンバーから「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」(67年)や「シャドウズ・オブ・ラヴ」(67年)といったドラマティックな展開をもつプログレッシヴなR&Bナンバーまで、モータウンの黄金時代を象徴するヒット曲を持つ。
30日
ジョンとポールとブライアン・エプスタインは、サビル・シアターでザ・フーとジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンスを見る。
 
2月 6日
EMIが、ビートルズと新たに9年間のレコード契約を結んだと発表。この時の発表では、ビートルズの全世界でのレコード売上げ枚数をシングルに換算すると(アルバムはシングル6枚・EPはシングル2枚として計算)、1億8000万枚を売ったことになるという。
9日
スウェーデンの映画プロデューサー、ピーター・ゴールドマン監督によるプロモーション・フィルム”Penny Lane ”、”Strawberry Fields Forever”がBBCTV”Top Of The Pops”で放映される。
17日
通算14枚目となる、ダブル”A”サイドシングル”Penny Lane / Strawberry Fields Forever”をパーロフォンからリリース。ビートルズ最高のシングルだとする人も多いが1962年以来チャート第1位にならなかった初のシングルでもある。キャバレー歌手エンゲルベルト・フーデンバックがずっとトップにいたからだ。”Penny Lane / Strawberry Fields Forever”は初版の25万枚に限り特製ジャケットを使用。
20日
ジョージ・マーティン、アビイ・ロード第3スタジオで「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」の間奏部分のサウンド・エフェクト(テープを30センチほどに切り、バラバラにしてつなぎなおしたもの)を作る。
3月 11日
ビートルズはアメリカのグラミー賞の2部門を受賞。ジョンとポールは”Michelle”で作曲賞、ポールは”Eleanor Rigby”でコンテンポラリー歌唱賞を受賞。またクラウス・ブーアマンはアルバム”Revolver”でジャケット・デザイン賞を受賞。
18日
PENNY LANEビルボードの1位になる
25日
ビートルズはイギリス作曲家協会から2個のアイバー・ノベロ賞を受賞。”Michelle”が1966年度の最優秀曲、”Yellow Submarine”が1966年度シングル売上げ第1位になる。
30日
ロンドンにある写真家マイケル・クーパーのスタジオで、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケット写真を撮影する。
4月 3日
ポール、恋人ジェーンの誕生日を祝うためハリウッドへ出発
5日
ポールはジェーン・アッシャーの誕生日を祝うためにダラスに向かう。
8日
ジョン、自動車会社J.P.ファロンを訪れ、ロールス・ロイスをサイケデリック調に塗りかえられるかどうか尋ねる。可能と聞いたジョンは、数日後に自分のロールス・ロイスを工場に運ばせる。
19日
合資会社「ビートルズ&カンパニー」のパートナー・シップが締結される
21日
アビイ・ロード第2スタジオで、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の最後のクレッシェンドのあとにノイズと高周波音の犬笛の音を入れ、700時間を費やしたアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が完成する。
     
5月 1日
EMIは、ビートルズがこれまでに2億枚のレコードを売ったと発表(アルバムをシングル6枚・EPを2枚と計算)。
11日
映画「YELLOW SUBMARINE」のサントラ、レコーディング開始。
12日
イギリスのラジオで初めて「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が放送される。
15日
ポール、ロンドンのクラブ、バッグ・オ・ネイルズにジョージー・フェイムのショーを観にいき、リンダ・イーストマンと出会う。
19日
エプスタインの自宅で「Sgt. Pepper's」完成記念パーティー。
20日
BBC放送は、アルバム”Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band”の中の”A Day In The Life”を、ドラッグの服用を促すとして発禁処分に。ビートルズ・サイドはこの曲はドラッグとは一切関係がないと否定。
   
6月 1日
8枚目のアルバム”Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”をパーロフォンからリリース。発売と同時に絶賛を浴びる。
18日
ポール 再びLSDを服用するかもしれないと発言し物議をかもす。
19日
ポールは”ライフ”誌にLSDを4回服用したと語る。また、”デイリー・ミラー”紙には「LSDについてしゃべったことは後悔はしていないね。ファンもきっと分かってると思うんだ」
25日
世界同時衛星中継番組”Our World”で”All You Need Is Love”のレコーディング風景放送。13人のセッション・ミュージシャンを集め演奏。24ヶ国の計4億人がこの中継を観たと言われる。
7月 7日
15枚目のシングル”All You Need Is Love / You're A Rich Man”を急遽リリース。
22日
ポールは”ニュー.ミュージカル・エクスプレス”紙に、「”All You Need Is Love”は2週間で完成した。この曲のレコーディング風景を世界中に同時放送するって聞いたから、僕は世界にひとつだけメッセージを送ろうと思ったんだ。それは愛。今の世界にはもっと愛が必要なんだ」と語る。
23日
ビートルズの4人、シンシア、ジュリアン、ジェーン、パティは30日までギリシャで休暇を過ごす。このことからビートルズがギリシャの島を買うのではないかという噂が流れる。
24日
”タイムズ”紙に、マリファナ喫煙を禁止する法律は道義に反するものであり現実的には実行不可能なものである、との全ページ広告を掲載。ビートルズの4人のメンバーのほかにブライアン・エプスタイン、作家、画家、政治家などが署名している。

31日
 リンゴ、閉鎖されることになったロンドンの海賊放送局、ラジオ・ロンドンのためにビートルズを代表してお別れのメッセージを録音(放送は8月5日)。

     
8月 3日
ロサンジェルス滞在中のジョージ、デレク・テイラーが来るのを待つあいだに「ブルー・ジェイ・ウェイ」を作曲。
19日
リンゴとモーリンの次男ジェイソンがロンドンのクイーン・シャーロット病院で誕生。
27日
ブライアン・エプスタインが自宅で死亡しているのが発見される。享年32歳。 この時ビートルズはマハシリとともにノース・ウェールズのバンゴーにいた。「大変ショックです。気が動転していてどうしていいか分からない」とポールはコメントする。
 
9月 1日
ビートルズの4人がポールの家に集まり、ブライアン・エプスタイン亡きあとの方針について話しあう。予定していたインド行きを延期し、映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の企画を進めることを決める。
9日
テレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー」の制作が正式発表される。
11日
9月11日から24日まで、テレビ映画”Magical Mystery Tour”の撮影。ジョンが出演した映画”How I Won The War”のワールド・プレミア・ショー。
22日
ジョージ、かぜで寝込む。ほかのメンバーはケント州ウエスト・モーリングのハイ・ストリートで映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のオープニング・シーンなどを撮影。
24日
「マジカル・ミステリー・ツアー」のロケ隊ロンドンに戻る。
25日
アビイ・ロード第2スタジオで「フール・オン・ザ・ヒル」をレコーディング中のビートルズを日本の『ミュージック・ライフ』誌が取材。
   
10月 2日
「ハロー・グッバイ」のレコーディング。
7日
リンゴがクリスチャン・マルカン監督の映画CANDYに単独出演することが発表される。
17日
アビイ・ロードにあるユダヤ教会、ニュー・ロンドン・シナゴーグで行なわれたブライアン・エプスタインの葬儀に4人そろって出席。
29日
10月29日から11月3日まで、映画”Magical Mystery Tour”の撮影。
30日
映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の追加撮影のため、ポールが単独でフランスのニースに飛び、「フール・オン・ザ・ヒル」のシーンを撮る。
  
   
     
11月 7日
ズウェンマー画廊で開かれたジョン.ブラットビーの個展にポールの肖像画が3枚陳列される。ポールがブラットビーのスタジオで2時間モデルを務めたと言われる。
10日
ブライアン・エプスタイン所有のサビル・シアターで”Hello Goodbye”のプロモーション・フィルムを撮影。監督はポール。
24日
16枚目のシングル”Hello Goodbye / I Am The Walrus”をパーロフォンからリリース。
 
12月 5日
ロンドンのベイカー・ストリートで「アップル・ブティック」のオープン記念パーティが開かれる。ジョンとジョージ、オープニング・パーティに出席。
7日
ロンドンのベイカー・ストリート94番地にアップル・ブティックがオープン。リンゴ、映画「キャンディ」撮影開始。
8日
同名のテレビ映画のサウンドトラックとしてEP盤”Magical Mystery Tour”パーロフォンからリリース。片面3曲ずつのレコードが2枚と32ページの漫画本がセットになったもの。
11日
スコットランドの農場でジェーン.アッシャーと休暇を過ごしていたポールは、「僕たちは結婚するよ。みなさん知っていますよね。ただ、いつ結婚するのかは僕たちにも分からない」と語る。
15日
ファン・クラブのメンバーにクリスマス・レコードが送られる。
25日
ポールとジェーン・アッシャー、4年の交際を経て正式に婚約を発表。ポールはエメラルドとダイヤの指輪を贈る。
26日
BBCテレビ1で映画『マジカル・ミステリー・ツアー』が放送され、75%の視聴率を獲得、視聴者は1,300万人に及んだ。放映契約金は2万ポンドといわれている。しかし、作品の性格に反してファミリー向けのゴールデン・タイムに、しかもサイケデリックな色彩が売りものだったのに白黒で放送され、”デイリー・ミラー”紙が「もしこれがビートルズの映画でなかったらBBCは目もくれなかっただろう」と批評するなど、マスコミから酷評されてしまう。
27日
ITVの”The Frost Programme”にポールが出演。「あの映画の評判は散々だった。みんなプロットを期待してみていたからね。でもそんなものはなかったんだ」
30日
リンダ・イーストマンと夫との間に長女ヒーザーが誕生。
     

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