1964年の軌跡

1月 1日
ロンドン=フィンズベリー・パークのアストリア・シネマで「ビートルズ・クリスマス・ショー」に出演。
2日
クリスマス・ショーに出演。
3日
クリスマス・ショーに出演。"I Wanna Hold Your Hand"が、オーストラリアで1位になる。この日の夜、ニュース番組『ジャック・パー・プログラム』の1コーナーとして、ビートルズがアメリカではじめてテレビ番組に登場。放送されたのは「シー・ラヴズ・ユー」の演奏シーン。映像ソースは英BBC制作の『ザ・マージー・サウンド』(63年10月9日にイギリスで放送)からの抜粋。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が17位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が19位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が29位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が23位、ローリング・ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が12位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートでも20位に。
4日
クリスマス・ショーに出演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が16位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が24位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が31位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が20位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が10位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が50位。オーストラリアとイスラエルのチャートで「抱きしめたい」が1位。
5日
ジョージとリンゴ、BBCラジオ『サタデイ・クラブ』のためにトークを収録(1月12日放送)。
6日
クリスマス・ショーに出演。クリスマス・ショー後、アルマ・コーガンのステージを見に行くが間にあわず。
7日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組「サタデイ・クラブ」の収録を行ない、7曲を演奏する(放送は2月15日)。その後、クリスマス・ショーに出演。
8日
クリスマス・ショーに出演。
9日
クリスマス・ショーに出演。
10日
クリスマス・ショーに出演。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が6位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が16位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が22位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が30位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が28位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が11位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が25位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートでも20位に。
11日
クリスマス・ショー最終日。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が2位、「シー・ラヴズ・ユー」が6位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が19位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が20位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が29位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が24位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が11位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が31位。
12日
アソシエイテッド・テレビジョンの番組『バル・パーネルズ・サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム』に生出演し、5曲を演奏。
14日
ジョン、ポール、ジョージ、パリへ。アメリカのキャピトル、アルバム"Meet The Beatles"をリリース。ジョン、ポール、ジョージ、ロンドン空港からパリへ出発。「抱きしめたい」がアメリカのビルボード誌に45位で初登場。
15日
ベルサイユのシネマ・シラノでパリ公演開始。2月4日まで。リンゴもパリへ出発。
16日
パリのオランピア・テアトルで3週間の公演開始。アメリカの『キャッシュボックス』誌で「抱きしめたい」が翌週1位であるとの知らせを聞く。パリのオランピア・シアターでの3週間公演が始まる(28日を除く2月4日まで昼夜2〜3回の公演)。共演者はトリニ・ロペスとシルビー・バルタン。ホテルの部屋で、「抱きしめたい」が25日付けのキャッシュボックス誌で1位になったとの電報を受ける。
17日
オランピア・テアトルで公演。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が3位、「シー・ラヴズ・ユー」が7位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が24位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が9位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が21位。
18日
オランピア・テアトルで公演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が2位、「シー・ラヴズ・ユー」が7位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が23位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が28位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が38位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が32位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が12位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が27位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が45位。
19日
オランピア・テアトルで公演。昼の公演のうち5曲がフランスのラジオ局ヨーロッパ1の『ミュージコラマ』で生放送。公演のもようをフランスのラジオ局のORTFが放送用に録音。
20日
オランピア・テアトルで公演。ヨーロッパ1で短いインタビューを放送。アメリカ独自の編集によるアルバム『ミート・ザ・ビートルズ』(Capitol ST 2047)がリリース。キャピトルからのデビュー・アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』発売。
22日
オランピア・テアトルで公演。フランスのテレビ局ORTF-TVが、ショーのようすを収録。ポール、ジェーン・アッシャーの芝居を見に行く。
23日
オランピア・テアトルで公演。
24日
オランピア・テアトルで公演。AFN(米軍放送)の西ドイツ駐留アメリカ軍向けラジオ番組『ウィークエンド・ワールド』のためにインタビューを収録 (25日放送)。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が3位、「シー・ラヴズ・ユー」が14位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が30位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が17位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が12位。西ドイツのブリティッシュ・フォース・ネットワークのラジオ番組に出演。アメリカでタイム、ニューズウィーク、ニューヨーク・タイムズなど、数々の新聞・雑誌がビートルズの記事を掲載する予定だと報じられる。
25日
オランピア・テアトルで公演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が3位、「シー・ラヴズ・ユー」が10位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が23位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が33位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が46位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が41位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が17位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が19位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が3位、「シー・ラヴズ・ユー」が69位。アメリカのエージェントであるノーマン・ウェイス パリ公演中のエプスタインを訪ねカーネギー出演契約を結ぶ。キャッシュボックスのチャートで「抱きしめたい」が1位を獲得(ビルボードでは2月1日付けで1位)。
26日
オランピア・テアトルで公演。
27日
オランピア・テアトルで公演。アメリカのヴィー・ジェイ・レコードからアルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』(Vee Jay VJLP1062)が一部曲目を替えて再リリース。シングル「マイ・ボニー」/「ザ・セインツ」(MGM K 13213)がアメリカでリリース。
29日
パリのパテ・マルコーニ・スタジオで「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」のドイツ語バージョンと「キャント・バイ・ミー・ラヴ」をレコーディング。そのあとオランピア・テアトルで公演。ビリー・J・クレイマー&ダコタスがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」/「バッド・トゥ・ミー」(Liberty 55667)がアメリカでリリース。
30日
オランピア・テアトルで公演。アメリカのヴィー・ジェイ・レコードからシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」/「プリーズ・プリーズ・ミー」(Vee Jay VJ 581)がリリース。
31日
オランピア・テアトルで公演。トニー・シェリダン&ビート・ブラサーズのシングル「スウィート・ジョージア・ブラウン」/「ノーバディズ・チャイルド」(Polydor NH 52-906)がアメリカでリリース。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が6位、「シー・ラヴズ・ユー」が18位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が22位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が15位。
2月 1日
パリのオランピア・テアトルで公演。 『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が21位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が68位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が117位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が92位。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が6位、「シー・ラヴズ・ユー」が13位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が30位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が47位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が48位、ローリング・ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が21位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が15位。
2日
オランピア・テアトルで公演。
3日
オランピア・テアトルで公演。シングル「抱きしめたい」とアルバム『ミート・ザ・ビートルズ』がアメリカでゴールド・ディスクを獲得する。アルバム『ザ・ビートルズ・ウィズ・トニー・シェリダン・アンド・ゼア・ゲスツ』(MGM SE 4215)がアメリカでリリース。
4日
オランピア・テアトル公演の最終日。キャピトルの広報、キャンペーンのキャッチフレーズをそれまでの“The Beatles Are Coming”から“The Beatles Are Here!”に変更する。
5日
パリからロンドンへ戻る。
7日
初めてのアメリカ訪問のためロンドンを出発。ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に到着後、すぐ記者会見を行なう。午後1時20分、ビートルズ、初のアメリカ公演のため、パンナム101便で、ニューヨークのケネディ空港に到着。ケネディ空港には3000人のファンと100人以上の報道陣が詰め掛け、その後、空港内の一室でアメリカ上陸後初の記者会見を行った。滞在先の「ホテル・ザ・プラザ」の前では暴動も起きた。BBCラジオ『サタデイ・クラブ』のために電話インタビューを収録(8日放送)。EP『オール・マイ・ラヴィング』(Parlophone GEP 8891)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が10位、「シー・ラヴズ・ユー」が29位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が18位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が27位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が15位。
8日
セントラル・パークでフォト・セッション(体調をくずしていたジョージをのぞく)。午後はニューヨークにあるCBSテレビのスタジオ50で『エド・サリバン・ショー』のリハーサル。午前中、マスコミの要望に応えてセントラル・パークでフォト・セッション。ただしジョージは喉の調子が悪く、欠席する。午後は『エド・サリヴァン・ショー』のカメラ・リハーサル。ジョージはこれにも欠席、ニール・アスピノール(現アップル・コープス代表)がジョージの代わりをつとめる。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が9位、「シー・ラヴズ・ユー」が22位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が39位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が42位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が24位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が15位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が7位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が57位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が68位、「マイ・ボニー」が107位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が3位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が59位。
9日
リハーサルを経て、『エド・サリバン・ショー』第3回出演分の収録(23日放送)。アメリカ東部時間午後8時から『エド・サリバン・ショー』に初めて生出演し、72パーセントという驚異的な視聴率を記録。CBSTV"Ed Sullivan Show"に初出演。72%という史上最高の視聴率を記録。『エド・サリヴァン・ショー』初出演。全米で7300万人が番組を観た。演奏したのは「オール・マイ・ラヴィング」「ティル・ゼア・ワズ・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「抱きしめたい」の5曲。
10日
プラザ・ホテルで新聞記者たちと会見。記者会見ならびに『ミート・ザ・ビートルズ』と「抱きしめたい」のゴールド・レコード授賞式がニューヨークのプラザ・ホテルで行なわれる。
11日
ニューヨークから列車でワシントンDCへ。ワシントン・コロシアムでアメリカ最初のコンサートを行なう。公演のようすはメイスルズ・フィルム社、CBSなどによって撮影される。アメリカ・ツアー開始。ワシントン・コロシアムにて初公演後、デイヴィット・オームズビー・ゴア卿の仮装パーティーに出席。ワシントン・コロシアム(ふだんはボクシングの試合などに使われる)でアメリカで初のコンサート。入場料は2、3、4ドル。入場者数は8092人。ジョージがリード・ヴォーカルをとる「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」からはじまり、ビートルズは全12曲を演奏した。
12日
ふたたび列車でニューヨークへ戻り、カーネギー・ホールで2回の公演。カーネギー・ホールで公演。ニューヨークのカーネギー・ホールで2回のコンサート。前座はブレアーウッド・シンガーズ。キャピトルはライヴ・レコーディングを計画するが、ミュージシャン組合の反対によって中止となる。アメリカ訪問中のビートルズを記録したテレビ・ドキュメンタリー『イェー!イェー!イェー!ザ・ビートルズ・イン・ニューヨーク』がイギリスのITV系列で放送。
13日
飛行機でマイアミへ移動する。マイアミで休暇。ジョンとポールは、この時「CAN'T BUY ME LOVE」を作った。マイアミにて休養。20日まで。ただし16日には2回目の『エド・サリヴァン・ショー』出演。
14日
マイアミのドービル・ホテルで『エド・サリバン・ショー』のリハーサル。フォアモストのEP『ザ・フォアモスト・サウンド』(Parlophone GEP 8892、レノン=マッカートニー・ナンバーの「アイム・イン・ラヴ」「ハロー・リトル・ガール」を含む)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が16位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が15位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が19位。
15日
ドービル・ホテルで『エド・サリバン・ショー』のリハーサル。『ミート・ザ・ビートルズ』がビルボードのチャート1位を獲得。アメリカABCテレビの番組『アメリカン・バンドスタンド』でビートルズへの電話インタビューが放送される。ビートルズが出演したBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』が放送(1月7日収録)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が14位、「シー・ラヴズ・ユー」が26位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が39位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が20位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が31位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が16位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が45位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が54位、「マイ・ボニー」が67位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が22位、アルバム『ザ・ビートルズ・ウィズ・トニー・シェリダン・アンド・ゼア・ゲスツ』が147位。
16日
リハーサルを経て、アメリカ東部時間午後8時から『エド・サリバン・ショー』に2回目の生出演。マイアミ・ビーチのドゥービル・ホテルでの様子が、"Ed Sullivan Show"で放映される。
16日
リハーサルを経て、アメリカ東部時間午後8時から『エド・サリバン・ショー』に2回目の生出演。マイアミ・ビーチのドゥービル・ホテルでの様子が、"Ed Sullivan Show"で放映される。
18日
マイアミでカシアス・クレイを訪問。カシアス・クレイ(モハメド・アリ)に会う。
19日
マイアミに滞在。
20日
マイアミに滞在。
21日
ニューヨーク経由でロンドンへ向かう。ビートルズ、ケネディ空港からイギリスに帰国。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が20位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が13位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が27位。
22日
ロンドンに到着。ヒースロー空港への到着シーンやインタビューなどがイギリスのテレビ、ラジオで放送される。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が15位、「シー・ラヴズ・ユー」が27位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が49位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が13位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が33位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が21位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が29位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が35位、「マイ・ボニー」が54位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が120位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が3位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が147位。

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23日
テディントン・スタジオ・センターでITV系テレビ番組『ビッグ・ナイト・アウト』の収録(29日放送、ただしロンドンのみ3月3日放送)。9日に録画した「エド・サリバン・ショー」が放送される。3回目の「エド・サリヴァン・ショー」出演となる。前2回は生放送だったが今回のものは「エド・サリバン・ショー」に初出演した2月9日に収録されたもので、ビートルズがイギリスへ帰国したあとの2月23日に放送された。3度目の出演のとき使用されたセット。「ツイスト・アンド・シャウト」「プリーズ・プリーズ・ミー」の2曲をこのセットで、3曲目は別のセットで演奏した。実際には初出演より先にこの収録が行なわれている。
25日
ジョージが21歳の誕生日を迎える。EMIスタジオでアルバム『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のレコーディング開始。この日は「ユー・キャント・ドゥ・ザット」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「恋する二人」のレコーディングと「キャント・バイ・ミー・ラヴ」のオーバーダビングを行なう。
26日
EMIスタジオでレコーディング。「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を完成させ、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「恋する二人」をとりなおす。アメリカのヴィー・ジェイ・レコードからアルバム『ジョリー・ホワット!ザ・ビートルズ・アンド・フランク・アイフィールド・オン・ステージ』(Vee Jay VJLP 1085)がリリース。
27日
EMIスタジオでレコーディング。「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を完成させ、新たに「テル・ミー・ホワイ」「恋におちたら」をレコーディング。ジョンの書いた詩2篇「テイルズ・オブ・ハーミット・フレッド」「ランド・オブ・ルナポッツ」が『マージー・ビート』誌に掲載される。
28日
ロンドンのBBCピカデリー・スタジオでラジオ番組『フロム・アス・トゥ・ユー』を収録(3月30日放送)。シングル「ホワイ」/「クライ・フォー・ア・シャドウ」(Polydor NH 52-275)がイギリスでリリース。ピーター&ゴードンがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「愛なき世界」(Columbia DB 7225)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が24位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が21位。
29日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が20位、「シー・ラヴズ・ユー」が33位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が48位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が12位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が42位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が25位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が6位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が28位、「マイ・ボニー」が42位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が101位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が142位。
 
3月 1日
EMIスタジオで「すてきなダンス」「ロング・トール・サリー」「アイ・コール・ユア・ネーム」のレコーディング。
2日
初の主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(この時点ではタイトル未定)の撮影が始まる。この日はロンドンから西部地方へ向かう列車の中で撮影。ジョージ、パティ・ボイドと出会う。シングル「ツイスト・アンド・シャウト」/「ゼアズ・ア・プレイス」(Tollie 9001)がアメリカでリリース。
3日
列車のシーンを撮影。ビートルズが出演したITV系テレビ番組『ビッグ・ナイト・アウト』がロンドン地区で放送。
4日
列車のシーンを撮影。

5日
列車のシーンを撮影。ドイツ語版シングル「抱きしめたい」/「シー・ラヴズ・ユー」(Odeon 22671)が西ドイツ(当時)でリリース。
6日
列車のシーンを撮影。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が28位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が22位。
7日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が25位、「シー・ラヴズ・ユー」が38位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が3位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が16位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が34位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が4位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が18位、「マイ・ボニー」が31位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が86位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が128位。
9日
列車のシーンの撮影を終える。
10日
ミドルセックス州ウィンチェスター・ロードにあるパブでリンゴのソロ・シーンを撮影。
11日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで初めての撮影。この日は貨物車両の中でトランプをしているシーンを撮る。
12日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで「ホテルの部屋」のシーンを撮る。
13日
ガトウィック・エアポート・サウスでの撮影。ヘリコプターに乗り込むラスト・シーンと、ヘリコプター発着台のまわりではしゃぐシーンを撮る。『NME』誌のチャートでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が24位。
14日
2月11日にワシントン・コロシアムで行なわれたビートルズのコンサートを収めたフィルムがアメリカ全土の映画館で上映される。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が29位、「シー・ラヴズ・ユー」が40位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が19位、フォアモストの「アイム・イン・ラヴ」が39位。『ビルボード』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が3位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が15位、「マイ・ボニー」が26位、「ツイスト・アンド・シャウト」が55位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が73位、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」が102位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が121位。
15日
前日にひき続き、ワシントン・コロシアムでのコンサート映像がアメリカ全土の映画館で上映される。
16日
リンゴのみ、トゥイッケナム・フィルム・スタジオで「スタジオの食堂」のシーンを撮る。ジョージはシラ・ブラックが出演するBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』の収録を見学。シングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ」/「ユー・キャント・ドゥ・ザット」(Capitol 5150)がアメリカでリリース。キャピトルから2枚目のシングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ c/w ユー・キャント・ドゥ・ザット」発売。予約だけで170万枚に達する。
17日
ロンドンのクラブを使ってカジノのシーンを撮る。ジョン、BBCラジオのニュース番組『トゥデイ』のためにインタビューを収録(18日放送)。
18日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで「楽屋」のシーンを撮る。BBCラジオ番組『ザ・パブリック・イヤ』のためにインタビューを収録(22日放送)。
19日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで「テレビ局の廊下」のシーンを撮る。BBCラジオ番組『ムービー・ゴー・ラウンド』のためにインタビューを収録(4月12日放送)。ロンドンのドーチェスター・ホテルで開かれた第12回バラエティ・クラブ・オブ・グレート・ブリテン昼食会に出席。労働党党首ハロルド・ウィルソンから1963年度最優秀ショー・ビジネス・パーソナリティ賞を授与される。ロンドンのBBCテレビジョン・シアターでテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』の収録を行なう(25日放送)。
20日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで「テレビ局の廊下」のシーンを撮る。リンゴ、BBCラジオ番組『ムービー・ゴー・ラウンド』のためにインタビューを収録(4月12日放送)。ロンドンのテレビジョン・ハウスでアソシエイテッド・レディフュージョン・テレビの番組『レディ・ステディ・ゴー!』に生出演。前日のバラエティ・クラブ昼食会のもようがBBCテレビ特別番組『バラエティ・クラブ・オブ・グレート・ブリテン・アワード・フォー・1963』で放送される。シングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ」/「ユー・キャント・ドゥ・ザット」(Parlophone R 5114)がイギリスでリリース。ビリー・J・クレイマー&ダコタスのEP『アイル・キープ・ユー・サティスファイド』(Parlophone GEP 8895、タイトル曲がレノン=マッカートニー・ナンバー)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が4位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が28位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が21位。
21日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が31位、「シー・ラヴズ・ユー」が46位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が20位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が30位。『ビルボード』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、「抱きしめたい」が2位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が3位、「ツイスト・アンド・シャウト」が7位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が14位、「マイ・ボニー」が42位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が58位、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」が79位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が103位。
23日
テレビ・スタジオのシーンの撮影のためロンドンのスカラ・シアターに場所を移す。ジョンの著作集『イン・ヒズ・オウン・ライト』が発売。ジョンのみBBCテレビ番組『トゥナイト』に生出演し、インタビューを受ける。ロンドンのエンパイア・ボールルームで開かれたカール・アラン・ボールルーム・ダンシング・アワードの授賞式に出席。エジンバラ公から1963年度ベスト・ビート・グループ賞とベスト・シングル賞を授与される。授賞式のもようはBBCテレビ特別番組『ザ・カール・アラン・アワード』で生中継される。シングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」/「サンキュー・ガール」(Vee Jay VJ 587)とEP『ザ・ビートルズ』(Vee Jay VJEP 1-903)がアメリカでリリース。
24日
スカラ・シアターで撮影。ジョン、BBCラジオ海外転送サービスの番組『デイトライン・ロンドン』のためにインタビューを収録(18日放送)。
25日
スカラ・シアターで撮影。
26日
スカラ・シアターで撮影。
27日
この日から4日間のイースター休暇。ジョンとシンシア、ジョージとパティはアイルランドのドローモラン城へ、リンゴは友人たちといっしょにベッドフォードシアにあるカントリー・ハウスへ出かける。ポールはロンドンで過ごす。 シングル「ホワイ」/「クライ・フォー・ア・シャドウ」(MGM K 13227)がアメリカでリリース。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が初登場1位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が13位。
28日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が初登場1位、「抱きしめたい」が37位、「シー・ラヴズ・ユー」が47位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が24位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が15位。『ビルボード』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、「抱きしめたい」が2位、「ツイスト・アンド・シャウト」が3位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が4位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が26位、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が27位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が50位、「オール・マイ・ラヴィング」が71位、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」が75位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が78位、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」が115位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が87位。ビルボードが同日付けで「抱きしめたい」が340万枚、『ミート・ザ・ビートルズ』が365万枚の売り上げを記録したと報じる。
30日
ビリー・J・クレイマー&ダコタスのシングル「リトル・チルドレン」/「バッド・トゥ・ミー」(Imperial 66027、B面がレノン=マッカートニー・ナンバー)がアメリカでリリース。
31日
スカラ・シアターで映画のクライマックスとなるステージ・シーンを撮影。ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』の収録(4月4日放送)。ジョン、BBCラジオ番組『ア・スライス・オブ・ライフ』のためにインタビューを収録(5月2日放送)。
4月 1日
映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影が続く。この日はスカラ・シアターで撮影。ジョン、ロンドンにあるネムズ・エンタープライズの事務所で17年ぶりに父フレッドと再会する。リンゴ、ジョージも同席。
2日
ロンドンのスカラ・シアターでプレス・パーティのシーンを撮影。
3日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで映画の予告編を撮影。 タイン・ティーズ・テレビの番組『スター・パレード』のためにインタビューを収録(9日放送)。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が5位。
4日
ビートルズが出演したBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』が放送(3月31日収録)。
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「抱きしめたい」が38位、「シー・ラヴズ・ユー」が47位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が3位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が23位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が15位。
『ビルボード』誌のチャートでトップ5(1〜5位)を独占。「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「ツイスト・アンド・シャウト」が2位、「シー・ラヴズ・ユー」が3位、「抱きしめたい」が4位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が5位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が31位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が41位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が46位、「オール・マイ・ラヴィング」が58位、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」が65位、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」が68位、「サンキュー・ガール」が79位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が77位、アルバム『ジョリー・ホワット!ザ・ビートルズ・アンド・フランク・アイフィールド・オン・ステージ』が135位。
5日
メリルボーン駅でオープニング・シーン(ファンに追いかけられるシーンが中心)を撮影。
6日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオでメイクアップ・ルームのシーンを撮影。ローリング・ストーンズのシングル「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」(London 9657)がアメリカでリリース。
7日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで警察署内のシーンを撮影。
9日
テムズ川右岸のサリー州キューでリンゴのソロ・シーンを撮影。リンゴが川辺を歩くシーンを撮る。
10日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオでプロダクション・オフィスのシーンを撮影。アメリカ独自の編集によるアルバム『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』(Capitol ST 2080)がリリース。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が2位。シラ・ブラックのEP『エニーワン・フー・ハッド・ア・ハート』(Parlophone GEP 8901、レノン=マッカートニー・ナンバー「ラヴ・オヴ・ザ・ラヴド」を含む)がイギリスでリリース。
11日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「抱きしめたい」が45位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が28位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が2位。
『ビルボード』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「ツイスト・アンド・シャウト」が2位、「シー・ラヴズ・ユー」が4位、「抱きしめたい」が7位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が9位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が14位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が38位、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」が48位、「オール・マイ・ラヴィング」が50位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が52位、「サンキュー・ガール」が61位、「ゼアズ・ア・プレイス」が74位、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」が78位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が81位、「ホワイ」が131位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が70位、アルバム『ジョリー・ホワット!ザ・ビートルズ・アンド・フランク・アイフィールド・オン・ステージ』が112位。
12日
メリルボーン駅でオープニング・シーン(ファン抜きのシーン)を撮影。BBCラジオ番組『ムービー・ゴー・ラウンド』でビートルズのインタビューが放送(3月19日収録)。
13日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオでジョージのソロ・シーンとバスルームのシーンを撮影。
14日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオなどで交通渋滞のシーンを撮影(映画では使用されず)。
15日
スカラ・シアターの外で屋外のシーンを撮影。ポール、BBCテレビ番組『ア・ディグリー・オブ・フロスト』のためにインタビューを収録(5月18日放送)。
16日
ロンドンのノッティング・ヒル・ゲイトで警官との追いかけっこのシーンを撮影。EMIスタジオで映画の主題歌「ア・ハード・デイズ・ナイト」をレコーディング。
17日
ロンドンのレ・ザンバサドゥール・クラブでディスコのシーンを撮影。エド・サリバンがアメリカから来てインタビューを収録(5月24日の『エド・サリバン・ショー』で放送)。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が3位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が2位。
18日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオでアフレコや声の吹き替えを行なう。ロンドンのホール・オブ・リメンブランスでレディフュージョン・テレビの特別番組『アラウンド・ザ・ビートルズ』のリハーサル。ビートルズが出演したアソシエイテッド・テレビジョンの番組『モーカム・アンド・ワイズ・ショー』(1963年12月2日収録)が放送。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が33位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が1位。『ビルボード』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「ツイスト・アンド・シャウト」が2位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が5位、「シー・ラヴズ・ユー」が8位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が16位、「抱きしめたい」が19位、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が45位、「オール・マイ・ラヴィング」が48位、「サンキュー・ガール」が49位、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」が55位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が73位、「ホワイ」が88位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が68位、アルバム『ジョリー・ホワット!ザ・ビートルズ・アンド・フランク・アイフィールド・オン・ステージ』が104位。
19日
ロンドンのIBCスタジオで『アラウンド・ザ・ビートルズ』のための演奏を収録(本番ではこの録音にあわせて疑似演奏)。
20日
ロンドンのジャック・ビリングス・テレビ・スクール・オブ・ダンシングでポールのソロ・シーンを撮影(映画では使用されず)。
21日
前日にひき続きポールのソロ・シーンを撮影(映画では使用されず)。
22日
裏階段をかけ降りるシーン、警官に追いかけられるシーン、リンゴのソロ・シーンなどをロンドン各地で撮影。
23日
ミドルセックス州アイルズワースのソーンベリー・プレイング・フィールズで、ヘリコプターの離発着台ではしゃぐシーンを撮影。 ジョンとシンシア、ロンドンのドーチェスター・ホテルで開かれたフォイルズ文学昼食会に出席。
24日
ロンドンのエッジヒル・ロードでリンゴのソロ・シーンを撮影。これで映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影はすべて完了し、出演者とスタッフ全員によるうちあげパーティが開かれる。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が3位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が5位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が1位。
25日
ホール・オブ・リメンブランスで『アラウンド・ザ・ビートルズ』のリハーサル。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が3位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『オール・マイ・ラヴィング』が38位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が1位。『ビルボード』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「ツイスト・アンド・シャウト」が2位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が3位、「シー・ラヴズ・ユー」が19位、「抱きしめたい」が24位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が29位、「サンキュー・ガール」が37位、「オール・マイ・ラヴィング」が45位、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」が60位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が67位、「ゼアズ・ア・プレイス」が120位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が2位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が16位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が68位、アルバム『ジョリー・ホワット!ザ・ビートルズ・アンド・フランク・アイフィールド・オン・ステージ』が105位。
26日
ウェンブリーのエンパイア・プールで開かれた『NME』誌ポールウィナーズ・オールスター・コンサートにメインで出演。
27日
ウェンブリー・スタジオで『アラウンド・ザ・ビートルズ』のリハーサル。シングル「ラブ・ミー・ドゥ」/「P.S.アイ・ラヴ・ユー」(Tollie 9008)、ピーター&ゴードンがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「愛なき世界」(Capitol 5175)がアメリカでリリース。
28日
ウェンブリー・スタジオで『アラウンド・ザ・ビートルズ』の本番収録(5月6日放送)。
29日
エジンバラにあるABCシネマで公演。BBCホーム・サービス・ラジオの番組『スコティッシュ・ニュース』のためにインタビューを収録(同日放送)。
30日
ラスゴーにあるオデオン・シネマで公演。BBCの報道番組『シックス・テン』のためにインタビューを収録(同日放送)。スコティッシュ・テレビの番組『ラウンドアップ』のためにインタビューを収録(5月5日放送)。
     
5月 1日
ロンドンのBBCパリス・スタジオでラジオ番組『フロム・アス・トゥ・ユー』の収録を行なう(18日放送)。リバプールのウォーカー・アート・ギャラリーでスチュアート・サトクリフの絵画展が開かれる。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が5位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が6位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が1位。
2日
ビートルズの4人、1か月の長期休暇に入る。レコード・デビュー後初めての長期休暇で、ジョンとシンシア、ジョージとパティはホノルルへ、ポールとジェーン、リンゴとモーリーンはバージン諸島のセント・トマスへ旅行に出かける。
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が5位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が4位。『ビルボード』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が1位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が3位、「ツイスト・アンド・シャウト」が7位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が32位、「シー・ラヴズ・ユー」が36位、「サンキュー・ガール」が40位、「オール・マイ・ラヴィング」が59位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が1位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が4位。『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が首位の『ミート・ザ・ビートルズ』と入れ替わるようにアルバム・チャート1位に。同アルバムは発売後3日でゴールド・レコード(100万枚突破)に輝き、その後は55週にわたってチャート内にとどまることとなる。
3日
8月に予定されているロサンジェルスのハリウッド・ボウルでのコンサートのチケットが売り切れる。
4日
ディック・ジェイムズ・ミュージックとノーザン・ソングス、ロンドンのニュー・オックスフォード・ストリートに事務所を移転する。
5日
スコティッシュ・テレビの番組『ラウンドアップ』でビートルズのインタビューが放送される(4月30日収録)。
6日
テレビ特別番組『アラウンド・ザ・ビートルズ』が放送される(4月28日収録)。DJはマレー・ザ・K、他の出演者はミリー、シラ・ブラック、ロング・ジョン・ボルドリー。
8日
マイク・シャノン&ストレンジャーズのシングル「ワン・アンド・ワン・イズ・トゥー」/「タイム・アンド・ザ・リバー」(Phillips BF 1335、A面がレノン=マッカートニー・ナンバー)と、コンピレーション・アルバム『レッツ・ドゥ・ザ・ツイスト、ハリー・ガリー、スロップ、サーフ、ロコモーション、モンキー』(Polydor SLPHM 237-622、ビートルズの「クライ・フォー・ア・シャドウ」、トニー・シェリダン&ビートルズの「マイ・ボニー」「ザ・セインツ」「ホワイ」を含む)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が7位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が8位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が4位。
9日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が9位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が5位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が2位。『ビルボード』誌のチャートで「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が2位、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が5位、「ツイスト・アンド・シャウト」が11位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が12位、「サンキュー・ガール」が35位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が64位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が1位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が7位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が106位、アルバム『ジョリー・ホワット!ザ・ビートルズ・アンド・フランク・アイフィールド・オン・ステージ』が119位。
10日
ラジオ・ルクセンブルクの番組『ディス・イズ・ゼア・ライフ』のビートルズ特集が放送される。
11日
カナダ独自の編集アルバム『ロング・トール・サリー』(Capitol Of Canada ST 6063)がリリース。EP『フォー・バイ・ザ・ビートルズ』(Capitol EAP 2121、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」「オール・マイ・ラヴィング」「ディス・ボーイ」「プリーズ・ミスター・ポストマン」を収録)と、コンピレーション・アルバム『チャート・バスターズVOL.4』(Capitol ST 2094、ビートルズの「抱きしめたい」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を含む)がアメリカでリリース。
15日
ビリー・J・クレイマー&ダコタスのEP『アイル・キープ・ユー・サティスファイドNO.2』(Parlophone GEP 8907、レノン=マッカートニー・ナンバー「アイ・コール・ユア・ネーム」を含む)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が13位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が9位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が11位。
16日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が14位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が5位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が7位。『ビルボード』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が3位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が5位、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が11位、「ツイスト・アンド・シャウト」が20位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が33位、「サンキュー・ガール」が49位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が1位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が3位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が7位、アルバム『ザ・ビートルズ・アンド・ゲスツ』が146位。
17日
ラジオ・ルクセンブルクの番組『ディス・イズ・ゼア・ライフ』のビートルズ特集が放送される。
18日
BBCテレビ『ア・ディグリー・オブ・フロスト』でポールのインタビューが放送される(4月15日収録)。
21日
シングル「シー・ラヴズ・ユー」(ドイツ語版)/「アイル・ゲット・ユー」(Swan 4182)がアメリカでリリース。
22日
アビイ・ロード・スタジオでジョージ・マーティンが「ユー・キャント・ドゥ・ザット」にピアノをオーバーダビング。『NME』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が22位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が10位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が21位。
23日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が19位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が7位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が11位。『ビルボード』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が2位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が12位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が15位、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が23位、「ツイスト・アンド・シャウト」が41位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が1位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が5位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が8位。
24日
アメリカCBSテレビ『エド・サリバン・ショー』でビートルズのインタビューが放送される(4月17日収録)。人気テレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』にてビートルズがスカラ座劇場で「ユー・キャント・ドゥ・ザット」を口パクで演奏するシーンが放送される。映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のために収録されたシーンだったが、最終的に映画ではカットされた。後年になって『ザ・メイキング・オブ・ア・ハード・デイズ・ナイト』で初公開。なお、スカラ座の客席には当時まだ少年だったフィル・コリンズがいたのは有名な話。『メイキング〜』の進行役はフィルがつとめた。
26日
ジョンとジョージ、休暇から戻り、ロンドンで映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の試写会に出席。
27日
ポールとリンゴ、休暇から戻る。ジョンとジョージは、エプスタインのアパートで開かれたシラ・ブラックの誕生会に出席。その後ふたりはロンドン・パラディアム劇場でシラのショーを見る。
28日
プリンス・オブ・ウェールズ・シアターで31日に行なわれるショーに備えてリハーサル。
29日
シングル「エイント・シー・スウィート」/「イフ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー」(Polydor NH 52-317、A面はビートルズ、B面はトニー・シェリダン&ビートルズ)と、ピーター&ゴードンのシングル「ノーボディ・アイ・ノウ」/「ユー・ドント・ハフ・トゥ・テル・ミー」(Columbia DB 7292、A面がレノン=マッカートニー・ナンバー)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が9位。
30日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が25位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が5位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が20位。『ビルボード』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が1位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が11位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が19位、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が42位、「シー・ラヴズ・ユー」(ドイツ語版)が108位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が1位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が5位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が10位。
31日
ロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで開かれたブライアン・エプスタイン主催のポップ・ショー「ポップス・アライブ!」の第5夜に出演し、7曲を演奏。
6月 1日
EMIスタジオで「マッチボックス」「ぼくが泣く」「スロウ・ダウン」「アイル・ビー・バック」をレコーディング。カール・パーキンスがスタジオを訪問。トニー・シェリダン&ビートルズのシングル「スウィート・ジョージア・ブラウン」/「テイク・アウト・サム・インシュアランス・オン・ミー、ペイピー(イフ・ユー・ラヴ・ミー、ベイビー)」(ATCO 6302)がアメリカでリリース。
2日
EMIスタジオで「エニイ・タイム・アット・オール」「家に帰れば」「今日の誓い」をレコーディング。
3日
 リンゴ、扁桃腺炎と咽頭炎により、ロンドンの大学病院に入院。翌日からのワールド・ツアーに参加できなくなったため、リンゴの代役にジミー・ニコルを起用してアビイ・ロード・スタジオで簡単なリハーサル。
4日
初のワールド・ツアーを開始。30日まで。扁桃腺と咽頭炎で入院していたリンゴに代わって、前半はジミー・二コルがドラマーとして参加する。最初はデンマーク・ツアー。 コペンハーゲンのKBハーレンで2回公演。EMIスタジオではジョージ・マーティンによるミキシング・セッションが行なわれる。マーティンが「スロウ・ダウン」にピアノをオーバーダビングし、EP『ロング・トール・サリー』が完成。
5日
オランダに到着。スヒポール空港での記者会見のあと、ヒレホムのカフェレストラン・トレスロングでテレビ番組『ビートルズ・イン・ネイデアラーント』の収録(8日放送)。ピーター&ゴードンのアルバム『ピーター&ゴードン』(レノン=マッカートニー・ナンバー「愛なき世界」を含む)と、アップルジャックスがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」(Decca F 11916)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「エイント・シー・スウィート」が27位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が10位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が25位。
6日
アムステルダム周辺の運河で遊覧船に乗る。その後40キロメートル北のブロッカーに移動し、フェイリンハル・オプ・ホープ・ファン・ゼーハンで2回公演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が28位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が8位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が26位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が45位。『ビルボード』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が2位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が10位、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が36位、「シー・ラヴズ・ユー」(ドイツ語版)が108位、EP『フォー・バイ・ザ・ビートルズ』が105位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が4位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が6位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が11位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が6位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が61位。
7日
いったんイギリスへ戻ったあと、チューリヒ、ベイルート、カラチ、カルカッタ、バンコク経由で香港に向かう。
8日
ベイルート経由で香港に到着。ビリー・J・クレイマー&ダコタスのアルバム『リトル・チルドレン』(Imperial 12267、レノン=マッカートニー・ナンバー「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」「バッド・トゥ・ミー」「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」を含む)がアメリカでリリース。
9日
九龍のプリンセス・シアターで2回公演。香港で所要時間95分のボート・ツアーという異例のコンサートを開く 運河や橋の上に15万人を越すファンが集まった。EMIスタジオでマーティンがアルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』収録曲をミキシング。
10日
EMIスタジオでマーティンによるミキシング・セッションが続く。
11日
香港から直行便でオーストラリアへ。ダーウィンで給油のあと、暴風雨のシドニーに到着。
12日
アデレイドのセンテニアル・ホールで2回公演。『NME』誌のチャートで「エイント・シー・スウィート」が24位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が4位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が20位。
13日
アデレイドのセンテニアル・ホールで2回公演。リンゴとブライアン・エプスタイン、オーストラリアへ向けてロンドンを出発。
初の主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(ア・ハード・デイズ・ナイト)』のサウンドトラック盤がユナイテッド・アーティスツ(同映画の制作会社)から発売。あくまでもサントラ扱いであったため、ジョージ・マーティン・オーケストラによるインスト曲も収録された。
14日
メルボルンに到着。リンゴとエプスタインが夜遅く合流。
15日
メルボルンのフェスティバル・ホールで2回公演。この日からリンゴがステージに復帰し、ジミー・ニコルはイギリスへ帰国。アデレイドでのステージがオーストラリアのラジオ番組『ザ・ビートルズ・ショー』で放送(12日収録)。ピーター&ゴードンがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「ノーボディ・アイ・ノウ」(Capitol 5211)と、ピーター&ゴードンのアルバム『愛なき世界』(Capitol ST 2115、レノン=マッカートニー・ナンバー「愛なき世界」を含む)がアメリカでリリース。
16日
メルボルンのフェスティバル・ホールで2回公演。
17日
メルボルンのフェスティバル・ホールで2回公演。
18日
ポールが22歳の誕生日を迎える。シドニーのスタジアムで2回公演。
19日
シドニーのスタジアムで2回公演。EP『ロング・トール・サリー』(Parlophone GEP 8913)と、トニー・シェリダン&ビートルズのアルバム『ザ・ビートルズ・ファースト』(Polydor 236-201)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が3位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が14位。
20日
シドニーのスタジアムで2回公演。 BBCラジオ番組『ラウンドアバウト』のために電話インタビューを収録(27日放送)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が45位、「エイント・シー・スウィート」が27位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が48位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が12位、アップルジャックスの「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」が33位。『ビルボード』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が7位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が22位、「シー・ラヴズ・ユー」(ドイツ語版)が101位、EP『フォー・バイ・ザ・ビートルズ』が97位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が4位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が9位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が14位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が2位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が16位、クレイマー&ダコタスのアルバム『リトル・チルドレン』が149位。
21日
シドニーからニュージーランドへ移動。
22日
ウェリントンのタウン・ホールで2回公演。この日からリンゴのボーカルが復活。EMIスタジオでマーティンがアルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』収録曲などをミキシング。
23日
ウェリントンのタウン・ホールで2回公演。
24日
オークランドのタウン・ホールで2回公演。
25日
オークランドのタウン・ホールで2回公演。シドニーでのステージ(18日〜20日のいずれかに撮影)を収めた劇場用映画『ビートルズ・アット・ザ・スタジアム』がオーストラリアで封切られる。
26日
ダニディンのタウン・ホールで2回公演。オリジナル・サウンドトラック・アルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』(United Artists UAS 6366)がアメリカでリリースされる。『NME』誌のチャートで「エイント・シー・スウィート」が29位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が3位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が9位。
27日
クライストチャーチのマジェスティック・シアターで2回公演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が47位、「エイント・シー・スウィート」が24位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が10位、ピーター&ゴードンの「ノーボディ・アイ・ノウ」が6位、アップルジャックスの「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」が26位。『ビルボード』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が11位、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」が37位、「シー・ラヴズ・ユー」(ドイツ語版)が97位、EP『フォー・バイ・ザ・ビートルズ』が92位、『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が4位、アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が9位、アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』が17位、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が9位、クレイマー&ダコタスのアルバム『リトル・チルドレン』が124位、ピーター&ゴードンのアルバム『愛なき世界』が114位。
28日
クライストチャーチを出発し、オークランド、シドニー経由でブリスベンへ。
29日
ブリスベンのフェスティバル・ホールで2回公演。
30日
ブリスベンのフェスティバル・ホールで2回公演。ワールド・ツアー終了。
   
7月 2日
オーストラリアとニュージーランド公演。終了後、初めてのワールド・ツアーを終え、午前11時10分ヒースロー空港に到着、大歓迎を受ける。ジョンとポールはこの日シラ・ブラックのレコーディングにも立ち合う。曲はふたりがプレゼントした「イッツ・フォー・ユー」。
6日
ウェスト・エンドの映画館ロンドン・パビリオンでの映画“A HARD DAY'S NIGHT”プレミア・ショーに出席。マーガレット王女も出席。すごい数のファンが殺到しました。
10日
リバプールへ凱旋し、20万人の市民がビートルズを歓迎。空港で記者会見したあとタウン・ホールで行なわれた市主催のレセプションに出席。夜はオデオン・シネマで映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の北部プレミア・ショーに出席。ビートルズは夜中にロンドンへ戻る。7枚目のシングル"A Hard Day's Night / Things We Said Today"と、アルバム"A Hard Day's Night"をパーロフォンからリリース。
11日
テディントン・スタジオ・センターでABCテレビの『ラッキー・スターズ(サマー・スピン)』に生出演。ステージ上に設置されたミラー状の壁に「BEATLES」の文字が浮かびあがり、斜めのシマシマのバックが全面電飾という凝ったセット。客席の上にはいくつものテレビ・モニターが下がっている。
13日
キャピトルが映画『ビートルズがやって来る〜』からのシングルとして「ア・ハード・デイズ・ナイト c/w 恋する二人」を発売。
14日
映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のニューヨークでのプレミア・ショーが行なわれ、叫び声でセリフが聞こえないほどの大騒ぎになる。

ハード・デイズ・ナイト(期間限定生産)(DVD)

ハード・デイズ・ナイト(期間限定生産)(DVD)
 

16日
 BBCラジオの新番組『トップ・ギア』が放送される。ビートルズは「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」「ロング・トール・サリー」ほか全7曲を演奏(収録は14日)。
19日
ブラックプールのABCシアターでテレビ番組『ブラックプール・ナイト・アウト』に生出演。ビートルズは5曲を演奏し、コントも披露。
20日
ニュー・アルバムとシングル2枚の計3枚が同時発売される。アルバムはキャピトルからの3作目にあたる『サムシング・ニュー』、シングルは「僕が泣く c/w すてきなダンス」と「アンド・アイ・ラヴ・ハー c/w 恋におちたら」。
23日
ビートルズ、ロンドン・パラディオンのチャリティー・ショー"The Night Of 100 Stars"に、ボーイ役で出演。
29日
ストックホルムのアイス・ホッケー・スタジアムで2回公演。ポールはこの日"Long Tall Sally"を演奏中に感電する。
 
8月 2日
ボーンマス・ゴーモントで、サンデー・コンサートを行う。
11日
「BEATLES FOR SALE」レコーディング開始。
12日
アメリカの500の映画館で映画"A Hard Day's Night(ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!)"封切り。映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(ア・ハード・デイズ・ナイト)』がニューヨークの主要映画館で公開。初日だけで75,000ドルの収益を記録する。
13日
ジョージ、マージー・ビート紙で「Quet Beatle」と称される。
18日
午後6時25分、初の本格的な全米ツアーのためにビートルズがサンフランシスコ国際空港に到着。約9,000人のファンが出迎える。
19日
2回目のアメリカ・ツアー開始。18州26ヶ所で行う15000マイル・U.S.ツアー。9月20日まで。ツアー初日。会場はサンフランシスコのカウ・パレス。この日から約1ヵ月にわたる全米ツアーがスタート(〜9月20日)。初日の前座は「アンチェインド・メロディー」のヒットで知られるライチャス・ブラザーズと女性シンガー・ソングライターのジャッキー・デシャノン。
22日
全米ツアーの合間をぬって初のカナダ公演(9月8日も)。
23日
ロサンゼルスのハリウッド・ボウルで公演。この日はライヴ・レコーディングされたが、あまりの歓声にビートルズの演奏がかき消されるという難題に直面する。なお、この日の演奏を収録したライヴ・アルバム『ビートルズ・アット・ハリウッド・ボウル』は、13年後の1977年に発売された(未CD化)。
24日
シングル「マッチボックス c/w スロウ・ダウン」発売。ジャケットには発売中のアルバム『サムシング・ニュー』と同じ写真を使用。
28日
一説によればこの日、ニューヨークのホテルに滞在中のビートルズをボブ・ディランが訪問、マリファナを教えたとされる。
   
9月 2日
フィラデルフィア・コンベンション・ホールで公演。
5日
シングル「恋する二人/僕が泣く」とアルバム『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』が日本で発売。
17日
アメリカ・ツアーでカンザス・シティのミューニシパル・スタジアムで追加公演。演奏中に会場がパニック状態になり、演奏が一時中断される。このときのギャラはステージ1回につき15万ドルという記録的なものだった。
19日
アメリカ・ツアーで36万ポンドを稼ぎ、現在ビートルズはミズーリの牧場で静養中と伝えられる。マネージャーのブライアン・エプスタイン30回目の誕生日。この日はオフにあたり、ビートルズとエプスタインら側近はミズーリ州の農場でゆっくりと過ごす。
20日
テレビ"Ed Sallivan Show"、およびニューヨークのチャリティー・コンサートに出演。滞在中のホテルにボブ・ディランが訪れる。ツアー最終日。ニューヨークのパラマウント・シアターで開かれたチャリティ・コンサートに出演。
21日
アメリカを離れたビートルズが午後9時35分にヒースロー空港へ到着。
   
10月 3日
ロンドンにてアメリカの人気テレビ番組『シンディング』の出演シーンを収録。「カンサス・シティ〜ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」「アイム・ア・ルーザー」「ボーイズ」を演奏する(全米放送は10月7日、ABCテレビ)。
8日
 アビイ・ロード第2スタジオで「シーズ・ア・ウーマン」をレコーディング。リンゴ、極秘に運転免許取得。
9日
4週間のイギリス・ツアーを開始。初日はブラッドフォード・ゴーモント。
 25日
5個のアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞。1963年度のイギリス音楽界に最も貢献したグループ、放送回数の最も多かった曲("She Loves You")、シングル売上げ第1位("She Loves You")、シングル売上げ第2位("I Wanna Hold Your Hand")、作曲賞第2位("All My loving")。
11月 2日
イギリス・ツアー中のオフ日だったが、急遽公演が決まり、ベルファーストのキングズ・ホールで演奏。
13日
アメリカ初上陸時(2月)のドキュメンタリー・フィルム『ビートルズ・イン・アメリカ』がCBSテレビで全米放送される。45分番組。フィルムの撮影にはアルバートとデヴィッドのメイスルズ兄弟(メイスルズ・フィルムズ)があたり、このフィルムが、のちに編集されてビデオ『ザ・ビートルズ・ファースト・US・ヴィジット』になる。
14日
テディントンで「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」の収録。その後、ジョンとリンゴはソーホーのフラミンゴ・クラブにジョージー・フェイムのショーを見に行く。
20日
ジョン、ダドリー・ムーアが主演するBBCテレビの新番組『ノット・オンリー…バット・オールソー』にゲスト出演。ウィンブルドン・コモンで早朝ロケを行なう(翌年1月9日放送)。
23日
キャピトルから初の両A面シングル「アイ・フィール・ファイン c/w シーズ・ア・ウーマン」ならびに2枚組の企画アルバム『ザ・ビートルズ・ストーリー』が同時発売。ただし『ザ・ビートルズ・ストーリー』は、ナレーションやインタヴューを中心に構成された一種のドキュメンタリー・アルバムで、ビートルズの曲は完奏されることなくアクセントとして収録されているにすぎない。とはいえ、この年の夏の全米ツアーにおけるハリウッド・ボウル公演から「ツイスト・アンド・シャウト」の一部が抜粋収録されるなど注目すべき点もすくなくない。事実この企画アルバムは、前述したような特殊な内容、さらには2枚組、しかもモノラルが7ドル98セント(通常は3ドル98セント)、ステレオが9ドル98セント(通常は4ドル98セント)と高額だったにもかかわらず、翌65年1月2日付けの全米アルバム・チャートで7位を記録する。写真は、ウェンブリーのレディフュージョン・スタジオでイギリスの人気テレビ番組『レディ・ステディ・ゴー!』を収録したときのもので、ビートルマニアのあまりの過熱ぶりに生出演ができなくなり、4人そろってこの番組に出演するのもこの日が最後となった。疑似演奏するビートルズのまわりには、ファンの手書きっぽい4人のイラストが貼りめぐらされている。
24日
ポールの父ジェームズ・マッカートニー(62)、アンジェラ・ウィリアムズ(35)と再婚。
 27日
8枚目のシングル"I Feel Fine | She's A Woman"をパーロフォンからリリース。
 
12月 4日
アルバム"Beatles For Sale"をパーロフォンからリリース。
8日
ポールは「デイリー・エクスプレス」紙にジェーン・アッシャーを結婚をするつもりだと語る。「でも、ここ2年の間は、結婚するつもりはないんだ。あと、結婚をする時はそのことを隠したりはしないよ、そんなことしたってなんにもならないからさ」
15日
アメリカ初上陸の1年を締めくくるアルバム『ビートルズ '65』発売。
24日
「アナザー・ビートルズ・クリスマス・ショー;開幕。1965年1月16日まで。写真は、「アナザー・ビートルズ・クリスマス・ショー」が行なわれたハマースミス・オデオンのステージ。巨大なツリーのセットが見もの。
26日
「アイ・フィール・ファイン」がビルボード誌のヒット・チャートで1位に。同時に「シーズ・ア・ウーマン」も4位にチャートイン。両面ヒットを記録する。
28日
ロンドンのハマースミス・オデオンで「アナザー・ビートルズ・クリスマス・ショー」に出演(24日〜1月16日)。
   

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