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1963年の軌跡

1月 1日
スコットランド・ツアーのためにハンブルクからロンドンへ飛ぶ。
2日
ロンドンから空路エジンバラに向かうが、悪天候のためアバディーンに緊急着陸。5日間のスコットランド・ツアー初日としてキースのロングモア・ホールで予定されていた公演はキャンセルとなる。
3日
スコットランドのエルギンにあるトゥー・レッド・シューズ・ボールルームで演奏。この日発売の『マージー・ビート』誌で1962年度人気投票の結果が発表され、ビートルズが2年連続の1位に輝く。同紙には1962年11月に行なわれた「プリーズ・プリーズ・ミー」のレコーディング・セッションのレポートも掲載される。
4日
スコットランドのディングウォールにあるタウン・ホールで演奏。
5日
スコットランドのブリッジ・オブ・アランにあるミュージアム・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が21位。
6日
スコットランド・ツアーの最終日。アバディーンのビーチ・ボールルームで演奏。
8日
グラスゴーのスタジオで、スコティッシュ・テレビの子ども向け番組『ラウンドアップ』に生出演する。
9日
12月中旬以来久しぶりにリヴァプールに戻る。
10日
リバプールのグラフトン・ルームズで演奏。ほぼ1か月ぶりのリバプール公演は大成功をおさめる。『イブニング・スタンダード』紙の記者、モーリーン・クリーブから初めてインタビューを受ける。
11日
昼はキャバーン・クラブでランチタイム・セッション。夜はスタフォードシア州オールド・ヒルのプラザ・ボールルームで演奏。そのあとバーミンガムのリッツ・ボールルームで演奏する予定だったが悪天候のため延期になる。セカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ」(カタログ番号R4983)をリリース。『NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)』誌に好意的なレビューが載る。
12日
ケント州チャタムのインビクタ・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が21位。『ディスク』誌と『レコード・ミラー』誌に「プリーズ・プリーズ・ミー」のレビューが載る。
13日
バーミンガムのアルファ・テレビジョン・スタジオでABCテレビの番組『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』の収録を行なう(19日放送)。
14日
チェシア州エルズミア・ポートのシビック・ホールで演奏。
16日
マンチェスターのスタジオでグラナダ・テレビの番組『ピープル・アンド・プレイシズ』に生出演したあと、プレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『ヒア・ウィ・ゴー』のために4曲を録音(25日に3曲のみ放送)。
17日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はチェシア州バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。マジェスティックでは満員のため500人のファンが入場できずに騒ぎだし、警察が出動することに。
18日
ランカシア州モーカムのフローラル・ホール・ボールルームで演奏。
19日
シュロップシア州ウィットチャーチのタウン・ホール・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートに「プリーズ・プリーズ・ミー」が47位で登場。「ラヴ・ミー・ドゥ」は26位にダウン。「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」放送。
20日
キャバーンに出演。
21日
ロンドンのEMIハウスでラジオ・ルクセンブルクの番組『ザ・フライデイ・スペクタキュラー』の収録を行なう(25日放送)。アメリカのヴィー・ジェイ・レコードと契約。
22日
ロンドンのBBCパリス・スタジオでラジオ番組『ポップ・イン』に生出演。そのあとプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』のために5曲を録音(26日放送)。さらにパリス・スタジオに戻り、BBCラジオ番組『タレント・スポット』のために3曲を公開録音する(29日放送)。ブライアン・エプスタインの第2の契約グループ、ジェリー&ペースメイカーズがジョージ・マーティンのもとでファースト・シングルのレコーディングを行なう。
23日
キャバーンでイブニング・セッション。
24日
リバプールのNEMSレコード店でサイン会を行なったあと、ウェールズのフリントシアにあるアセンブリー・ホールで演奏。写真はNEMS内で撮影されたもの。
25日
ランカシア州ダーウェンのコーポレティブ・ホールで演奏。
26日
チェシア州マックルズフィールドのエル・リオ・ダンス・ホールと、スタフォードシア州ストーク・オン・トレントのキングズ・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が34位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が39位。BBCのラジオ番組「サタデイ・クラブ」の放送。
27日
マンチェスターのスリー・コインズ・クラブで演奏。
28日
ノーサンバーランド州ニューカースル・アポン・タインのマジェスティック・ボールルームで演奏。
30日
キャバーンでランチタイム・セッション。
31日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はバーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。『マージー・ビート』誌のシングル・チャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が1位。
2月 1日
スタフォードシア州タムワースにあるアセンブリー・ルームズと、ウォリックシア州サトン・コールドフィールドにあるメイニ・ホールで演奏。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が初登場17位。
2日
ヘレン・シャピロと共に初のイギリス全国ツアーを行う。ヘレン・シャピロ・ツアーの初日、ヨークシア州ブラッドフォードのゴーモント・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が21位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が37位。
3日
キャバーン・クラブで開かれた「リズム・アンド・ブルース・マラソン」にメインで出演。
4日
キャバーンのランチタイム・セッションに最後の出演。カナダでのデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」/「P.S.アイ・ラヴ・ユー」(Capitol of Canada 72076)がリリース。
5日
シャピロ・ツアーの2日目、ヨークシア州ドンカスターのゴーモント・シネマで演奏。
6日
ベッドフォードシア州ベッドフォードのグラナダ・シネマで演奏(シャピロ・ツアー)。
7日
ヨークシア州ウェイクフィールドのリーガル・シネマで演奏(シャピロ・ツアー)。
8日
カンバーランド州カーライルのABCシネマで演奏(シャピロ・ツアー)。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が5位、楽譜のチャートでも23位に登場。アメリカのラジオで、はじめてビートルズの曲がオンエアされる。ラジオ局はシカゴのWLS。曲は「プリーズ・プリーズ・ミー」。
9日
ダーラム州サンダーランドのエンパイア・シアターで演奏(シャピロ・ツアー)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が9位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が41位となり、はじめてビートルズの顔写真入りの大記事が掲載される。
10日
ファースト・アルバムのレコーディング準備。
11日
ロンドンのEMIスタジオでファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のレコーディング・セッション。午前10時~午後10時45分のあいだの585分間に「ゼアズ・ア・プレイス」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「蜜の味」「ドゥー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」「ミズリー」「ホールド・ミー・タイト」「アンナ」「ボーイズ」「チェインズ」「ベイビー・イッツ・ユー」「ツイスト・アンド・シャウト」の11曲をレコーディング。
12日
ヨークシア州シェフィールド=グリードレスにあるアゼナ・ボールルームと、ランカシア州オールダムにあるアストリア・ボールルームで演奏。写真はアストリアです。
13日
ヨークシア州ハルのマジェスティック・ボールルームで演奏。
14日
リバプールのロカルノ・ボールルームで開かれたバレンタイン・デイのスペシャル・ダンス・パーティに出演。
15日
ウォリックシア州バーミンガム=キングズ・ヒースのリッツ・ボールルームで演奏。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が3位、楽譜チャートでは13位。
16日
オックスフォードのカーファックス・アセンブリー・ルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が2位、「ラヴ・ミー・ドゥ」が43位。
17日
ミドルセックス州テディントンにあるテディントン・スタジオ・センターでABCテレビの番組『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』の収録を行なう(23日放送)。
18日
ランカシア州ウィドニスのクイーンズ・ホールで演奏。
19日
キャバーンでイブニング・セッション。
20日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『パレード・オブ・ザ・ポップス』に生出演し、2曲を演奏。夜はドンカスターのセント・ジェイムズ・ストリート・バースで演奏。
21日
チェシア州バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。
22日
マンチェスターのオアシス・クラブで演奏。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が初めて1位になる。3月に行なわれるトミー・ロウ&クリス・モンテスとのツアー日程が発表される。
23日
シャピロ・ツアーが再開され、ノッティンガムシア州マンスフィールドのグラナダ・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が2位。
24日
ウォリックシア州コベントリーのコベントリー・シアターで演奏(シャピロ・ツアー)。
25日
ランカシア州リーのカジノ・ボールルームで演奏。アメリカでのデビュー・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」/「アスク・ミー・ホワイ」(VJ498)がヴィー・ジェイ・レコードからリリース。
26日
サマセット州タウントンのゴーモント・シネマで演奏(シャピロ・ツアー)。ビートルズのオリジナル曲を管理するノーザン・ソング設立される。
27日
ヨークシア州ヨークのリアルト・シアターで演奏(シャピロ・ツアー)。
28日
シュロップシア州シュルーズベリーのグラナダ・シネマで演奏(シャピロ・ツアー)。移動中のバスの中でジョンとポールは「フロム・ミー・トゥ・ユー」を作曲する。
3月 3日
 ビートルズにとって初めてのイギリス全国ツアーとなったヘレン・シャピロ・ツアーの最終日。ツアー開始当初は前座のなかでもっとも低いランクだったが、最後には前半のトリに昇格する。
5日
アビイ・ロード第2スタジオで3枚目のシングルのレコーディング・セッション。「フロム・ミー・トゥ・ユー」「サンキュー・ガール」「ワン・アフター・909」の3曲を録音する。
6日
マンチェスターのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『ヒア・ウィ・ゴー』の収録を行なう(12日放送)。
7日
ノッティンガムシア州ノッティンガムにあるエリザベザン・ボールルームで、NEMSのアーティストを集めて開かれた第1回「マージービート・ショーケース」にペースメイカーズらと出演。
8日
ヨークシア州ハロゲイトのロイヤル・ホールで演奏。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が2位。
9日
トミー・ロウとクリス・モンテスとともに2回目のイギリス・ツアーを行う。クリス・モンテス&トミー・ロウ・ツアーの初日、ロンドンのグラナダ・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が1位。

クリス・モンテス:
1962年、18歳のときデビュー。セカンドシングルの「LET'S DANCE」が全米4位を記録。A&Mに移籍後、「CALL ME」(22位)「THE MORE I SEE YOU」(16位)などの小ヒットを飛ばす。

トミー・ロウ:
60年代のバブルガム・ポップ・スター。62年のデビュー曲「シェイラ」がいきなりビッグ・セールスを記録したが、以降ヒットに恵まれず不遇の時代が続いた。」
10日
ウォリックシア州バーミンガムにあるヒッポドローム・シアターで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
11日
ロンドンのEMIハウスでラジオ・ルクセンブルクの番組『ザ・フライデイ・スペクタキュラー』の収録を行なう(15日放送)。
12日
ベッドフォードシア州ベッドフォードにあるグラナダ・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。ジョンが風邪で寝込み、3人だけでステージをつとめる。
13日
ロンドンのEMIスタジオで「サンキュー・ガール」にハーモニカをオーバーダビング。その後モンテス&ロウ・ツアーのためヨークシア州ヨークに向かい、リアルト・シアターで演奏。この日もジョンは出演できず。
14日
スタフォードシア州ウルバーハンプトンのゴーモント・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。この日もジョンは出演できず。
15日
ブリストル州ブリストルのコールストン・ホールで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。この日からジョンがステージに復帰。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が2位。
16日
ロンドンにあるブロードキャスティング・ハウスでBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』に生出演。その後モンテス&ロウ・ツアーのためヨークシア州シェフィールドへ向かい、シティ・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が2位。
17日
ノーサンプトンシア州ピーターバラのエンバシー・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
18日
グロースターシア州グロースターのリーガル・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
19日
ケンブリッジシア州ケンブリッジのリーガル・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
20日
エセックス州ラムフォードのABCシネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
21日
ロンドンのBBCピカデリー・スタジオでラジオ番組『オン・ザ・シーン』の収録。その後モンテス&ロウ・ツアーのためサリー州ウェスト・クロイドンに向かい、ABCシネマで演奏。
22日
ヨークシア州ドンカスターのゴーモント・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』(カタログ番号PMC1202)をリリース。『NME』誌のチャートでシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が4位。
23日
ノーサンバーランド州ニューカースル・アポン・タインのシティ・ホールで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が4位。
24日
リバプールのエンパイア・シアターで公演(モンテス&ロウ・ツアー)。アメリカ人シンガーのトミー・ロウ、クリス・モンテスとのパッケージ・ツアーだったが、始まってみるとビートルズのほうが圧倒的人気だったので、ツアーの途中でメイン・アクトが入れ替わってしまった。舞台装置は、さすがにリバプールきっての劇場だけあってこの当時にしては照明がしっかりしている。フット・ライト、サイド・ライトもあるしスポット・ライトもきちんと当たっている。ステージ自体はバックの幕にドレープを寄せるなどの装飾が見られるのみで、非常にシンプルかつ上品。
25日
カメラマンのデゾ・ホフマンとリバプールでフォト・セッション。
26日
ノッティンガムシア州マンスフィールドのグラナダ・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
27日
ノーサンプトンシア州ノーサンプトンのABCシネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
28日
デボンシア州エクセターのABCシネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。
29日
ロンドン=ルイシャムのオデオン・シネマで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。『NME』誌のチャートでアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が9位。
30日
ハンプシア州ポーツマスのギルド・ホールで演奏(モンテス&ロウ・ツアー)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が7位。
31日
クリス・モンテス&トミー・ロウ・ツアーの最終日、レスターシア州レスターのド・モントール・ホールで演奏。
4月 1日
ロンドンのピカデリー・スタジオでBBCラジオ番組『サイド・バイ・サイド』の2回分の収録を行なう(1回目は22日、2回目は5月13日放送)。
3日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『イージー・ビート』の収録を行なう(7日放送)。
4日
ロンドンのパリス・スタジオでBBCラジオ番組『サイド・バイ・サイド』の収録を行なう(6月24日放送)。夜はバッキンガムシア州ストウにある男子校、ストウ・スクールのロクスバラ・ホールで演奏。この学校に通っていたリバプール出身の生徒がきっかけとなり実現したもの。まるで学園祭の出しものみたいな雰囲気で、セットもなにもなくて実にそっけない。観客もおとなしい男子生徒ばかりで「ワー」も「キャー」もなく、ビートルズのライブ史のなかでもひときわ異例のステージとなった。
5日
シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がビートルズ初のシルバー・ディスクを獲得し、ロンドンのEMIハウスで開かれた受賞パーティに出席する。夜はロンドン=レイトンのスイミング・バースで演奏。『NME』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が13位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は6位。
6日
ダービーシア州バクストンにあるパビリオン・ガーデンズ・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が13位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は10位。
7日
ハンプシア州ポーツマス=サウスシーのサボイ・ボールルームで演奏。
8日
午前7時45分、ジョンとシンシアの初めての子ども、ジョン・チャールズ・ジュリアン・レノンがリバプールのセフトン総合病院で誕生。
9日
昼はロンドンのパリス・スタジオでBBCラジオのトーク番組『ポップ・イン』に生出演(インタビューのみ)。夕方はAR(アソシエイテッド・レディフュージョン)制作の子ども向けテレビ番組『チューズデイ・ランデブー』に生出演。夜はロンドン=キルバーンのゴーモント・ステート・シネマで演奏。
10日
チェシア州バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。この会場でのビートルズ最後のステージとなる。
11日
ランカシア州ミドルトンのコーポレティブ・ホールで演奏。
12日
キャバーン・クラブで8時間にわたって開かれたリズム・アンド・ブルース・マラソンにメイン・アクトとして出演。サード・シングル「フロム・ミー・トゥ・ユー/サンキュー・ガール」(カタログ番号R5015)をリリース。『NME』誌のチャートでシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が22位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は5位。
13日
ロンドンにあるライム・グローブ・スタジオでBBCテレビ番組『ザ・625・ショー』の収録を行なう(16日放送)。夜はシャドウズのブルース・ウェルチがロンドンの自宅で開いたパーティに出席し、初めてクリフ・リチャードに会う。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「プリーズ・プリーズ・ミー」が17位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は7位。
14日
ミドルセックス州テディントンにあるテディントン・スタジオ・センターでABCテレビの番組『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』の収録を行なう(20日放送)。そのあとリッチモンド・アポン・テムズにあるステーション・ホテル・パブのクラブで初めてローリング・ストーンズのステージを観る。
15日
ウースターシア州テンベリー・ウェルズにあるブリッジ・ホテルのクラブで演奏。オフィシャル・ビートルズ・マンスリー・マガジンが創刊される。
16日
マンチェスターにあるグラナダ・テレビ・センターでテレビ番組『シーン・アット・6:30』に生出演。4月21日開催の『NME』誌のポール・ウィナーズ(人気投票受賞者)・オールスター・コンサートへの出演が決まる。
17日
ベッドフォードシア州ルートンにあるマジェスティック・ボールルームで演奏。
18日
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれたBBC主催の「スウィンギング・サウンド'63」に出演。終演後、のちにポールのフィアンセとなるジェーン・アッシャーと初めて会う。
19日
スタフォードシア州ストーク・オン・トレントにあるキングズ・ボールルームで、NEMSのアーティストを集めて開かれたショー「マージービート・ショーケース」に出演。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が6位、『プリーズ・プリーズ・ミー』は3位。
20日
チェシア州フロッドシャムにあるマージー・ビュー・プレジャー・グラウンズで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が19位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が23位、『プリーズ・プリーズ・ミー』は5位。
21日
ミドルセックス州ウェンブリーにあるエンパイア・プールで開かれた『NME』誌のポール・ウィナーズ・オールスター・コンサートに出演。夜はロンドンのピガール・クラブで演奏。写真は上がエンパイア、下がピガールでのものです。
23日
ランカシア州サウスポートにあるフローラル・ホールで演奏。
24日
ロンドン=フィンズベリー・パークにあるマジェスティック・ボールルームで演奏。
25日
サリー州クロイドンにあるフェアフィールド・ホールで、NEMSのアーティストを集めて開かれたショー「マージービート・ショーケース」に出演。
26日
シュロップシア州シュールズベリーにあるミュージック・ホールで演奏。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が1位、『プリーズ・プリーズ・ミー』は2位。ビリー・J・クレイマー&ダコタスがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」/「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」(カタログ番号R5023)と、ダフィ・パワーがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」(カタログ番号R5023)がリリース。
27日
チェシア州ノースウィッチにあるビクトリー・メモリアル・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が3位、「プリーズ・プリーズ・ミー」が28位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は3位。
28日
休暇のためポール、ジョージ、リンゴはカナリア諸島に、ジョンとブライアン・エプスタインはスペインに出発する。
29日
ウェンブリー・エンパイア・プールで行われた「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙の人気投票受賞者コンサートに出演する。
5月 1日
『ヒット・パレード』誌の表紙にビートルズが登場する。
3日
アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のステレオ盤が発売される(カタログ番号PCS3042)。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が1位、『プリーズ・プリーズ・ミー』は2位。ビリー・J・クレイマー&ダコタスのシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が22位。
4日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」は41位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は47位。
9日
12日間の休暇から帰国。
10日
ジョージ、リヴァプールのビート・グループ・コンテストの決勝大会に審査員として参加。審査員席にはデッカのA&Rチーフであり、かつてビートルズをオーディションで不合格にしたディック・ロウもいた。
『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は11位。
11日
ランカシア州ネルソンにあるインペリアル・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は19位。
12日
ウォリックシア州バーミンガムにあるアルファ・テレビジョン・スタジオでABCテレビの番組『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』の収録を行なう(18日放送)。
13日
ビートルズが出演したBBCラジオ番組『サイド・バイ・サイド』が放送される(4月1日収録)。
14日
ダーラム州サンダーランドにあるリンク・ボールルームで演奏。
15日
チェシア州チェスターにあるロイヤルティ・シアターで演奏。『ビート・マンスリー』誌の表紙にビートルズが登場する。
16日
ロンドンにあるテレビジョン・シアターでBBCテレビの子ども向け番組『ポップス・アンド・レニー』に生出演。
17日
ノーフォーク州ノーウィッチにあるグロブナー・ルームズで演奏。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は5位。
18日
ロイ・オービンソン、ゲイリー&ザ・ペースメイカーズと共に、3回目のイギリス・ツアーを6月9日まで行う。当初、ツアーのメインはオービンソンだったが、ファンの要望でビートルズがメインになる。ロイ・オービソン・ツアーの初日。バッキンガムシア州スラウのアデルフィ・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は9位。
19日
スタフォードシア州ハンレーにあるゴーモント・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
20日
ハンプシア州サウザンプトンにあるゴーモント・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
21日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』(25日放送)と『ステッピン・アウト』(6月3日放送)の収録を行なう。
22日
サフォーク州イプスウィッチにあるゴーモント・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
23日
ノッティンガムシア州ノッティンガムにあるオデオン・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
24日
ロンドンのエオリアン・ホールでBBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第1回の収録を行なう(6月4日放送)。夜はロンドン=ウォルサムストウにあるグラナダ・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は3位。
25日
ヨークシア州シェフィールドにあるシティ・ホールで演奏(オービソン・ツアー)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は6位。
26日
リバプールのエンパイア・シアターで演奏(オービソン・ツアー)。
27日
ウェールズのカージフにあるキャピトル・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。シングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」/「サンキュー・ガール」(VJ522)がアメリカのヴィー・ジェイ・レコードからリリースされる。
28日
ウースタシア州ウースターにあるゴーモント・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
29日
ヨークシア州ヨークにあるリアルト・シアターで演奏(オービソン・ツアー)。
30日
マンチェスターにあるオデオン・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
31日
エセックス州サウスエンド・オン・シーにあるオデオン・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」も1位を分けあう。
6月 1日
ロンドンのBBCパリス・スタジオでラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第2回と第3回の収録を行なう(第2回は6月11日、第3回は6月18日放送)。夜はロイ・オービソン・ツアーでロンドン=トーティングにあるグラナダ・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートでシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。ビリー・J・クレイマー&ダコタスのシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は2位。
2日
サセックス州ブライトンにあるヒッポドローム・シアターで演奏(オービソン・ツアー)。
3日
ロンドン=ウリッジにあるグラナダ・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。ビートルズが出演したBBCラジオ番組『ステッピン・アウト』が放送(5月21日収録)。
4日
ウォリックシア州バーミンガムにあるタウン・ホールで演奏(オービソン・ツアー)。BBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第1回が放送(5月24日収録)。
5日
ヨークシア州リーズにあるオデオン・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。
7日
スコットランドのグラスゴーにあるオデオン・シネマで演奏(オービソン・ツアー)。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が2位、『プリーズ・プリーズ・ミー』とクレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は1位。
8日
ノーサンバーランド州ニューカースル・アポン・タインにあるシティ・ホールで演奏(オービソン・ツアー)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」と『プリーズ・プリーズ・ミー』がともに1位。クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は2位。
9日
ロイ・オービソン・ツアーの最終日、ランカシア州ブラックバーンにあるキング・ジョージズ・ホールで演奏。
10日
サマセット州バースにあるパビリオンで演奏。ビリー・J・クレイマー&ダコタスがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」/「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」(カタログ番号Liberty 55586)がアメリカでリリース。
12日
慈善団体NSPCC(全国児童愛護会)の特別チャリティ・コンサートのためリバプールにあるグラフトン・ルームズで演奏。
13日
チェシア州ストックポートにあるパレス・シアター・クラブと、マンチェスターにあるサザン・スポーティング・クラブで演奏。
14日
ワラシー=ニュー・ブライトンにあるタワー・ボールルームで最後の演奏。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が3位、『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は2位。
15日
ウィルトシア州ソールズベリーにあるシティ・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が3位、『プリーズ・プリーズ・ミー』とクレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は1位、再発売された「マイ・ボニー」は38位。
16日
エセックス州ラムフォードにあるオデオン・シネマで演奏。イギリスのチャートの上位3位を占めていたビートルズ、ビリー・J・クレイマー&ダコタス、ジェリー&ペースメイカーズが共演。
17日
ロンドンのメイダ・ベイル・スタジオでBBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第4回の収録を行なう(6月25日放送)。
18日
ポール21歳の誕生日。リバプールでバースデイ・パーティが開かれジョン、ジョージ、リンゴも出席する。
19日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『イージー・ビート』の収録を行なう(6月23日放送)。
21日
サリー州ギルドフォードにあるオデオン・シネマで演奏。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が5位、『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は6位。
22日
ウェールズのアバーガベニーにあるタウン・ホールで演奏。ジョンだけはロンドンのテレビジョン・シアターでBBCテレビ番組『ジューク・ボックス・ジュエリー』の収録(6月29日放送)に参加したあとヘリコプターでウェールズに向かう。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が3位、『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は4位、「マイ・ボニー」は46位。
23日
バーミンガムにあるアルファ・テレビジョン・スタジオで、ABCテレビ番組『ラッキー・スターズ(サマー・スピン)』の収録を行なう(6月29日放送)。内容はリバプール出身グループの特集。
24日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』の収録を行なう(6月29日放送)。ビートルズが出演したBBCラジオ番組『サイド・バイ・サイド』が放送(4月4日収録)。
25日
ヨークシア州ミドルズブラにあるアストリア・ボールルームで演奏。
26日
ニューカースル・アポン・タインにあるマジェスティック・ボールルームで演奏。ステージのあと、ジョンとポールはニューカースル・ホテルの部屋で「シー・ラヴズ・ユー」を作曲する。マルコム・エバンス ブライアン・エプスタインに勧誘され正式にビートルズのロード・マネージャーになる。
27日
ポール、ビリー・J・クレイマー&ダコタスのニュー・シングル「バッド・トゥ・ミー」「アイ・コール・ユア・ネーム」(2曲ともレノン=マッカートニー作品)のレコーディングに立ちあう。

ビリー・J・クレイマー:
ビリー・J・クレイマー(ジョン・レノンが命名)ことウィリアム・アシュトンはコースターズというバンドのギタリストとしてリヴァプールで活躍していたが、ヴォーカリストの脱退に伴い、ギターのうでまいが今ひとつだったビリーはヴォーカリストに転向した。1962年のマージービート誌が行った人気投票のアマチュアグループ部門で3位に選ばれたのを目にしたブライアン・エプスタインにスカウトされプロに転向。エプスタインはビリーとソロ契約を交わし、バックバンドとしてマンチェスターで活躍していたダコタスを呼び寄せた。エプスタインはデビュー曲としてレノン&マッカートニー作の「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」を用意し、これがイギリスで2位まであがるヒットとなった。
28日
リーズにあるクイーンズ・ホールで演奏。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が6位、『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は7位。
29日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が5位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は7位。
30日
海辺のリゾート地での10週間にわたる公演の初日、ノーフォーク州グレート・ヤーマスにあるABCシネマで演奏。
 
7月 1日
ロンドンのEMIスタジオで4枚目のシングルのレコーディング・セッション。「シー・ラヴズ・ユー」と「アイル・ゲット・ユー」をレコーディングする。2枚目のアルバム WITH THE BEATLESのレコーディングがEMIスタジオで開始される。
2日
ロンドンのメイダ・ベイル・スタジオでBBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第5回の収録を行なう(7月16日放送)。
3日
マンチェスターのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『ザ・ビート・ショー』の収録を行なう(7月4日放送)。フォアモストがジョージ・マーティンのプロデュースでレノン=マッカートニー・ナンバー「ハロー・リトル・ガール」をレコーディングする。
4日
EMIスタジオでジョージ・マーティンが「シー・ラヴズ・ユー」と「アイル・ゲット・ユー」のミキシングを行なう。ビートルズはピーター・アッシャーといっしょにロンドンのシーン・クラブへ行き、ローリング・ストーンズのステージを観る。
5日
スタフォードシア州オールドヒルにあるプラザ・ボールルームで演奏。デニー・レインのバンドと共演する。『NME』誌のチャートでシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」が7位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスのシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は12位。
6日
チェシア州ノースウィッチにあるメモリアル・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が8位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は9位。
7日
リンゴ23歳の誕生日。ランカシア州ブラックプールにあるABCシアターで演奏。
8日
ケント州マーギットにあるウィンター・ガーデンズで6夜連続の公演が始まる(7月13日まで)。
10日
ロンドンのエオリアン・ホールでBBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第6回と第7回の収録を行なう(第6回は7月23日、第7回は7月30日放送)。
12日
EP『ツイスト・アンド・シャウト』(カタログ番号GEP8882)とEP『マイ・ボニー』(カタログ番号Polydor H21-610)がリリース。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が15位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスのシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は17位。
13日
2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」をリリースする。2月22日にイギリスのチャートで第1位になる。
この日、キャバーンで演奏後、猛吹雪のなか、ふたつのショーに出演するため、ミッドランドへ車で移動。キングズ・ヒースでのショーは2月15日に延期となる。
14日
ブラックプールにあるABCシアターで演奏。
16日
ロンドンのBBCパリス・スタジオでラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第8回、第9回、第10回の収録を行なう(第8回は8月6日、第9回は8月13日、第10回は8月20日放送)。
17日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『イージー・ビート』の収録を行なう(7月21日放送)。
18日
EMIスタジオでセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のレコーディング開始。この日は「ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」「マネー」「デビル・イン・ハー・ハート」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」をレコーディングする。
19日
ウェールズのリルにあるリッツ・ボールルームで演奏。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が15位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が13位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスのシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は21位。
20日
ウェールズのリルにあるリッツ・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が16位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は18位。
21日
ブラックプールにあるクイーンズ・シアターで演奏。
22日
サマセット州ウェストン・スーパー・メアにあるオデオン・シネマで6夜連続の公演が始まる(7月27日まで)。アメリカでのデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』(カタログ番号VJLP1062)がヴィー・ジェイ・レコードからリリース。ビリー・J・クレイマー&ダコタスがジョージ・マーティンのプロデュースでレノン=マッカートニー・ナンバー「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」をレコーディングする。
26日
ビリー・J・クレイマー&ダコタスのセカンド・シングル「バッド・トゥ・ミー」/「アイ・コール・ユア・ネーム」(ともにレノン=マッカートニー・ナンバー、カタログ番号R5049)がリリース。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が18位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が8位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスのシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は27位。
27日
ウェストン・スーパー・メア公演の最終日。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が16位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が14位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は20位。
28日
ノーフォーク州グレート・ヤーマスにあるABCシネマで演奏。
30日
EMIスタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のレコーディング。この日は「プリーズ・ミスター・ポストマン」「イット・ウォント・ビー・ロング」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「ロール・オーバー・ベートーヴェン」「オール・マイ・ラヴィング」をレコーディング、ジョージ・マーティンが「マネー」にピアノをオーバーダビングする。レコーディングのあいまにロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『ノン・ストップ・ポップ』(8月30日放送)と『サタデイ・クラブ』(8月24日放送)の収録を行なう。トミー・クィックリーがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「ティップ・オブ・マイ・タング」(カタログ番号Piccadilly 7N35137)がリリース。
31日
ランカシア州ネルソンにあるインペリアル・ボールルームで演奏。
8月 1日
マンチェスターのプレイハウス・シアターでラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第11回、第12回の収録を行なう(第11回は8月27日、第12回は9月3日放送)。オフィシャル・マンスリー・マガジン『ザ・ビートルズ・ブック』が創刊。
2日
リバプールのグラフトン・ルームズへの最後の出演。『NME』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が27位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が6位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は19位。アニストのラス・コンウェイによるインストゥルメンタル盤「リバプール・ポップス・メドレー」(カタログ番号Columbia DB 7087)がイギリスでリリース。
3日
キャバーン・クラブへの最後の出演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が19位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が6位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」が28位、同じく「バッド・トゥ・ミー」は31位。アメリカの『ビルボード』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が125位。イスラエルとオーストラリアのチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が9位。
4日
ランカシア州ブラックプールにあるクイーンズ・シアターで演奏。
5日
ランカシア州ウルムストンにあるアボッツフィールド・パークで演奏。
6日
ジャージー島セント・セイビアのスプリングフィールド・ボールルームで演奏。BBCラジオ『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第8回が放送(7月16日収録)。
7日
リンゴ23歳の誕生日。ランカシア州ブラックプールにあるABCシアターで演奏。
8日
ガーンジー島セント・ピーター・ポートのキャンディ・ガーデンズで演奏。
9日
ジャージー島セント・セイビアのスプリングフィールド・ボールルームで演奏。『NME』誌のチャートでEP『ツイスト・アンド・シャウト』が4位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は7位。
10日
ジャージー島セント・セイビアのスプリングフィールド・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が24位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が4位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は41位、同じく「バッド・トゥ・ミー」は11位。アメリカの『ビルボード』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が116位。
11日
ブラックプールにあるABCシアターで演奏。
12日
ウェールズのランディドノーにあるオデオン・シネマで演奏。
13日
ランディドノーにあるオデオン・シネマで演奏。『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第9回が放送(7月16日収録)。
14日
マンチェスターのグラナダ・テレビ・センターでニュース番組『シーン・アット・6:30』収録のため2曲を演奏(うち1曲は同日、もう1曲は8月19日放送)ランディドノーにあるオデオン・シネマで演奏。
15日
ランディドノーにあるオデオン・シネマで演奏。
16日
ランディドノーにあるオデオン・シネマで演奏。『NME』誌のチャートでEP『ツイスト・アンド・シャウト』が4位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は2位。
17日
ランディドノーにあるオデオン・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が28位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は43位、同じく「バッド・トゥ・ミー」は4位。アメリカの『ビルボード』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が124位。
18日
バーミンガムのアルファ・テレビジョン・スタジオでABCテレビの番組『ラッキー・スターズ(サマー・スピン)』の収録(8月24日放送)。デボンシア州トーキーにあるプリンセス・シアターで演奏。
19日
ハンプシア州ボーンマスにあるゴーモント・シネマで演奏。ブライアン・エプスタインとビートルズがビリー・J・クレイマーの20歳の誕生パーティを開く。
20日
ボーンマスにあるゴーモント・シネマで演奏。
21日
ボーンマスにあるゴーモント・シネマで演奏。アビイ・ロード・スタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のミキシング・セッション(ビートルズも一部に参加した可能性あり)。
22日
ハンプシア州サウザンプトンにあるサザン・インディペンデント・テレビジョン・シアターでニュース番組『デイ・バイ・デイ』収録のため疑似演奏(同日放送)。ボーンマスにあるゴーモント・シネマで演奏。
23日
ボーンマスにあるゴーモント・シネマで演奏。シングル「シー・ラヴズ・ユー」/「アイル・ゲット・ユー」がイギリスでリリース(カタログ番号Parlophone R 5055)。『NME』誌のチャートでEP『ツイスト・アンド・シャウト』が5位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」も1位。
24日
ボーンマスにあるゴーモント・シネマで演奏。 BBCラジオ『サタデイ・クラブ』が放送(7月30日収録)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「フロム・ミー・トゥ・ユー」が35位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が3位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」も1位。
25日
ブラックプールにあるABCシアターで演奏。
26日
ランカシア州サウスポートにあるオデオン・シネマで演奏。ポール、ワラシー裁判所から12か月の運転免許停止を言いわたされる。
27日
サウスポートにあるリトル・シアターでBBCテレビのドキュメンタリー番組『マージー・サウンド』のための撮影を行なう。サウスポートにあるオデオン・シネマで演奏。
28日
マンチェスターでBBCテレビ『マージー・サウンド』のための撮影を行なう。サウスポートにあるオデオン・シネマで演奏。
29日
リバプールでBBCテレビ『マージー・サウンド』のための撮影を行なう。サウスポートにあるオデオン・シネマで演奏。シングル「シー・ラヴズ・ユー」/「アイル・ゲット・ユー」がオーストラリアでリリース(カタログ番号Parlophone A 8093)。
30日
リバプールでBBCテレビ『マージー・サウンド』のための撮影を行なう。サウスポートにあるオデオン・シネマで演奏。フォアモストのシングル「ハロー・リトル・ガール」/「ジャスト・イン・ケース」(A面はレノン=マッカートニー・ナンバー、カタログ番号Parlophone R 5056)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が10位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」も1位。
31日
サウスポートにあるオデオン・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が12位、「フロム・ミー・トゥ・ユー」が43位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が4位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」も1位。
 
9月 1日
マンチェスターのディズベリー・スタジオ・センターでABCテレビ番組『ビッグ・ナイト・アウト』の収録を行なう(9月7日放送)。オフィシャル・マンスリー・マガジン『ザ・ビートルズ・ブック』第2号が刊行される。
2日
シングル「シー・ラヴズ・ユー」の売上げがイギリスで50万枚に達する。
3日
ロンドンのエオリアン・ホールでBBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第13回、第14回、第15回の収録を行なう(第13回は9月10日、第14回は9月17日、第15回は9月24日放送)。『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第12回が放送(8月1日収録)。
4日
ウースタシア州ウースターにあるゴーモント・シネマで演奏。
5日
サマセット州タウントンにあるゴーモント・シネマで演奏。
6日
ベッドフォードシア州ルートンにあるオデオン・シネマで演奏。EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』(カタログ番号Parlophone GEP 8880)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が13位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は2位。
7日
ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『サタデイ・クラブ』5周年記念番組の収録を行なう(10月5日放送)。収録後、ポールがBBCラジオのインタビューに答える(『ア・ワールド・オブ・サウンド』で11月21日放送)。サリー州クロイドンにあるフェアフィールド・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が9位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は2位。
8日
ランカシア州ブラックプールにあるABCシアターで演奏。
10日
ジョンとポールはロンドンのクラブで行なわれていたローリング・ストーンズのリハーサルに行き、ストーンズの目の前で「彼氏になりたい」を仕上げて曲をプレゼントする。
11日
EMIスタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のセッション。この日は「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」「リトル・チャイルド」「オール・アイヴ・ゴット・トゥ・ドゥ」「ノット・ア・セカンド・タイム」「ドント・バザー・ミー」をレコーディングする。
12日
EMIスタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のセッション。この日は「ホールド・ミー・タイト」「ドント・バザー・ミー」「リトル・チャイルド」「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」をレコーディングする。あいまにオーストラリアのラジオ放送用メッセージを録音する。ビートルズを表紙にした『メロディ・メイカー』誌の特別号『ビッグ・ビート・ボーイズ』が刊行される。
13日
ランカシア州プレストンにあるパブリック・ホールで演奏。その後ポールはネルソンのインペリアル・ボールルームで「インペリアル・ミス1963」の審査員をつとめる。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が15位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は2位。
14日
チェシア州ノースウィッチにあるメモリアル・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が12位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」は2位。
15日
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれた「グレート・ポップ・プロム」ショーにメインとして出演する。競演はローリング・ストーンズなど10組。
16日
この日から2週間の休暇。ジョンとシンシアはパリへ出かけ、現地でブライアン・エプスタインと合流。ポールとリンゴはギリシャへ、ジョージは兄のピーターとともにアメリカのイリノイ州ベントンに移住した姉のルイーズを訪問する。 シングル「シー・ラヴ ズ・ユー」/「アイル・ゲット・ユー」(カタログ番号Swan 4152)がアメリカでリリース。
17日
ジョージ、イリノイ州ベントンに住む姉ルイーズ・コールドウェルを訪ねて渡米。これがビートルズのメンバーがアメリカの地を踏んだ最初となる。このときジョージは、マウント・ヴァーノンにある楽器店で“リッケンバッカー425”を購入。また、28日にはエルドラドにフォー・ヴェスツなるローカル・バンドを聴きに行き、飛び入りで演奏。確認されている演奏曲は、次の5曲。カール・パーキンスの「みんないい娘」「マッチボックス」、チャック・ベリーの「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ジョニー・B・グッド」、ハンク・ウィリアムズの「ユア・チーティン・ハート」。最後の曲以外はのちにビートルズのレパートリーとなる。
18日
「シー・ラヴズ・ユー」の売上げがイギリスで100万枚に達しそうだと報じられる。
19日
アメリカの『キャッシュボックス』誌が「今週の新曲」で「シー・ラヴズ・ユー」をとりあげる。
20日
『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が19位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が4位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が30位。
21日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が11位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が3位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が41位。
23日
ビリー・J・クレイマー&ダコタスのシングル「バッド・トゥ・ミー」/「アイ・コール・ユア・ネーム」(カタログ番号Liberty 55626)がアメリカでリリース。
27日
シラ・ブラックのシングル「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」/「シャイ・オブ・ラヴ」(A面はレノン=マッカートニー・ナンバー、カタログ番号Parlophone R 5065)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」とアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が8位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が22位。
28日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が20位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が44位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』 が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が4位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が26位。
30日
EMIスタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』の編集とミキシング(ビートルズのメンバーは不参加)。ジョージ・マーティンが「マネー」「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」にピアノをオーバーダビング。
10月 1日
オフィシャル・マンスリー・マガジン『ザ・ビートルズ・ブック』第3号が刊行される。
2日
ジョン、ポール、リンゴが休暇から戻る。
3日
EMIスタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のセッション。この日は「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」「リトル・チャイルド」にボーカルをオーバーダビング。セッションのあと、ジョージが休暇から戻る。ロンドンにあるネムズの事務所で、BBCラジオ番組『ザ・パブリック・イヤ』のためにインタビューを収録(11月3日放送)。リンゴ、ロンドン=ルイシャムのオデオン・シネマで開かれたエバリー・ブラザーズ、ボ・ディドリー、ローリング・ストーンズのショーを観に行く。
4日
アソシエイテッド・レディフュージョン・テレビの番組『レディ・ステディ・ゴー』に生出演、3曲を疑似演奏する。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が13位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が20位。
5日
スコットランド・ミニ・ツアー開始。グラスゴーにあるコンサート・ホールで演奏。ビートルズが出演したBBCラジオ『サタデイ・クラブ』5周年記念番組が放送される(9月7日収録)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が29位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が37位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が11位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が22位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が6位。
6日
カ-コルディにあるカールトン・シアターで演奏。
7日
ダンディーにあるケアド・ホールで演奏。スコットランド・ミニ・ツアー終了。
9日
ジョンが23歳の誕生日を迎える。ロンドンにあるBBCパリス・スタジオでラジオ番組『ザ・ケン・ドット・ショー』の収録を行ない、1曲を公開演奏(11月3日放送)。BBCテレビのドキュメンタリー番組『マージー・サウンド』がロンドンと北部地域で放送される(8月下旬収録)。
10日
「シー・ラヴズ・ユー」がゴールド・ディスクを獲得したと発表される。
11日
スタフォードシア州トレンタムにあるトレンタム・ガーデンズのボールルームで演奏。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が26位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が17位。
12日
ロンドンにあるオフィシャル・ファン・クラブの本部で、翌日のロンドン・パラディアムでのショーのためのリハーサルを行なう。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が31位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が29位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が22位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が12位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位。ビートルズの独占インタビューを掲載した『ミッドランド・マガジン』創刊号が発売。
13日
アソシエイテッド・テレビジョンの番組『バル・パーネルズ・サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム』に生出演し、4曲を演奏。劇場前にファンが殺到して大混乱になる。"ビートルマニア"が生まれる。
14日
前日のファンの熱狂ぶりが、「ビートルマニア」という言葉で新聞報道される。
15日
ランカシア州サウスポートにあるフローラル・ホールで演奏。
16日
ロンドンにあるプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『イージー・ビート』の収録を行ない、5曲を演奏(20日放送)。ラジオでの公開演奏はこの日が最後となる。翌月の「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」への出演について、BBCラジオのインタビューを受ける(同日のニュース番組で放送)。
17日
EMIスタジオでシングル「抱きしめたい」/「ディス・ボーイ」と「ビートルズ・クリスマス・レコード」のセッション。初めて4トラックのレコーディング機材を導入する。
18日
グラナダ・テレビの番組『シーン・アット・6:30』の収録を行ない、1曲を疑似演奏(同日放送)。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が4位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が10位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が30位。
19日
ダービーシア州バクストンにあるパビリオン・ガーデンズ・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が4位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が33位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が31位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が25位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が11位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が4位。
20日
バーミンガムにあるアルファ・テレビジョン・スタジオでABCテレビの番組『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』の収録を行ない、3曲を疑似演奏(26日放送)。スタジオには3000人のファンが押し寄せる。エプスタイン ネムズのオフィスをロンドンに移す。
21日
EMIスタジオでシングル「抱きしめたい」/「ディス・ボーイ」の編集とミキシング(ビートルズのメンバーが参加したかどうかは不明)。「ビートルズ・クリスマス・ショー」のチケットが発売になる。
22日
『ロンドン・イブニング・ニュース』紙、ビートルズをテーマにした4回シリーズを連載開始。
23日
アビイ・ロード第2スタジオでセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のレコーディングを終えたあと、初の海外ツアーでスウェーデンのストックホルムへ飛ぶ。
24日
スウェーデン・ツアー開始。ストックホルムにあるカーラプラーンスステューディオ ンでラジオ番組『リバプール出身のポップ・グループ、ビートルズ、ストックホルムを訪れる』の収録を行ない、7曲を演奏(11月11日放送)。
25日
スウェーデンのカールスタードにあるニーア・アウランで2回公演。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が12位。レノン=マッカートニー・ナンバー4曲を収録したビリー・J・クレイマー&ダコタスのEP『ザ・クレイマー・ヒッツ』(カタログ番号Parlophone GEP 8885)がリリース。
26日
ストックホルムにあるクングリガ・テニスハッレンで2回公演。ブライアン・エプスタインがBBCテレビ番組『ジューク・ボックス・ジュリー』に出演。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が38位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が35位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が43位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が9位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が41位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位。
27日
スウェーデンのイェーテボリにあるシルクスで3回公演。
28日
スウェーデンのブロースにあるブロースハッレンで1回公演。コンサートの前にバイデレ・レコード店でサイン会を開く。
29日
スウェーデンのエシルストにあるスポットハッレンで1回公演。
30日
ストックホルムにあるナッレンテアーテンでテレビ番組『ドロップ・イン』の収録を行ない、4曲を演奏(11月3日放送)。EMIスタジオでアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が完成(この日のミキシングにはビートルズのメンバーは不参加)。スウェーデン・ツアー終了。
31日
スウェーデンから帰国。ヒースロー空港で初めてファンの大歓迎を受ける。ジョージ、ロンドン=ルイシャムのオデオン・シネマで開かれたリトル・リチャード、エバリー・ブラザーズ、ボ・ディドリー、ローリング・ストーンズのショーを観に行く。
   
11月 1日
チェルトナム・オデオンを皮切りに4回目のイギリス・ツアーを開始する。ビートルズ・オータム・ツアーと銘打たれる。オフィシャル・マンスリー・マガジン『ザ・ビートルズ・ブック』第4号が刊行される。EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』(カタログ番号Parlophone GEP 8883)、ビリー・J・クレイマー&ダコタスがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」(Parlophone R 5073)、同じくレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったローリング・ストーンズのシングル「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」(Decca F 11764)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が12位。
2日
シェフィールドのシティ・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が3位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が38位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が31位、クレイマー&ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」が44位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が10位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が34位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位。
3日
リーズのオデオン・シネマで演奏。ビートルズが出演したスウェーデンのテレビ番組『ドロップ・イン』が放送される(10月30日収録)。
4日
ロンドンのプリンス・オヴ・ウェールズ・シアターで行われた「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」に出演、エリザベス女王、マーガレット王女、スノードン卿も出席する。
5日
スラウのアデルフィ・シネマで演奏。アソシエイテッド・レディフュージョン・テレビの時事番組『ディス・ウイーク』のために、ロンドンを走るハイヤーの中でインタビューが行なわれる。(7日放送)「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」 テレビで放送される。マネージャーのブライアン・エプスタインが売り込みと視察のためにニューヨーク訪問(ビリー・J・クレイマーが同行)。
6日
ノーサンプトンのABCシネマで演奏。
7日
ダブリンのアデルフィ・シネマで演奏。 アイルランドのRTE(ラジオ・テレフィス・エーリアン)が制作するテレビ番組『イン・タウン』のためにインタビューを収録(同日放送)。初主演映画の脚本を担当するアラン・オーエンがビートルズの密着取材を開始(~9日)。『テレビ・タイムズ』誌の表紙にビートルズが登場、4回にわたるビートルズの特集の1回目が掲載される。
8日
ベルファーストのリッツ・シネマで演奏。 北アイルランド、アルスター・テレビの番組『アルスター・ニュース』のためにインタビューを収録(同日放送)。 BBCテレビ『シックス・テン』のためにインタビューを収録(同日放送)。レノン=マッカートニー・ナンバー「アイ・コール・ユア・ネーム」を収録したビリー・J・クレイマー&ダコタスのアルバム『リッスン…』(Parlophone PCS 3047)がイギリスでリリース。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が30位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が16位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が22位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が30位。
9日
ロンドン=イースト・ハムのグラナダ・シネマで演奏。ジョージ・マーティンが楽屋を訪れ、次のシングル「抱きしめたい」が予約注文だけで100万枚を突破しそうだと告げる。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が32位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が23位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が40位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が24位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が12位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が31位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が6位。
10日
バーミンガムのヒッポドローム・シアターで演奏。劇場から出る際、警官に扮して脱出。「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」がATVとBBCラジオで放送される。
11日
ビリー・J・クレイマー&ダコタスのシングル「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」(Liberty 55643)がアメリカでリリース。
12日
ポールがインフルエンザでダウンしたため、ポーツマスでの公演が延期になる。サザン・テレビの番組『デイ・バイ・デイ』のためにインタビューを収録(同日放送)、疑似演奏の予定はキャンセルとなる。BBCテレビ『サウス・トゥデイ』のためにインタビューを収録(同日放送)。
13日
プリマスのABCシネマで演奏。ウェストワード・テレビの番組『ムーブ・オーバー、ダッド』のためにインタビューを収録(16日放送)。
14日
エクセターのABCシネマで演奏。『テレビ・タイムズ』誌にビートルズ特集の2回目が掲載される。
15日
ブリストルのコールストン・ホールで演奏。フォアモストがレノン=マッカートニー・ナンバーを歌ったシングル「アイム・イン・ラヴ」(Parlophone R 5078)がイギリスで、「ハロー・リトル・ガール」(ATCO 6280)がアメリカでリリース。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が27位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が22位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が8位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が21位。
16日
ボーンマスのウィンター・ガーデンズ・シアターで演奏。この日の公演のもようをアメリカのNBCテレビ、ABCテレビ、CBSテレビが撮影する(アメリカのニュース番組で放送)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が25位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が24位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が27位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が10位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が18位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が35位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が46位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が8位。ニュージーランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が2位。イスラエルのチャートで「ツイスト・アンド・シャウト」が10位。
17日
コベントリーのコベントリー・シアターで演奏。
18日
シングル「シー・ラヴズ・ユー」、 EP『ツイスト・アンド・シャウト』、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』、そしてまだ発売前のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』に対するシルバー・ディスクの授与式と祝賀パーティ、昼食会がロンドンのEMI本社で開かれる。ビートルズのメンバーも出席。
19日
ウォルバーハンプトンのゴーモント・シネマで演奏。
20日
マンチェスターのABCシネマで演奏。この日の公演のもようをパセ・ニュースが撮影する(初めてのカラー・ライブ映像も含むこのフィルムは、ニュース映画『ザ・ビートルズ・カム・トゥ・タウン』として12月22日よりイギリスの映画館で上映)。グラナダ・テレビは楽屋風景を撮影する。グラナダ・テレビの番組『シーン・アット・6:30』のためにインタビューを収録(1964年1月6日放送)。BBCラジオ『ボイス・オブ・ザ・ノース』のためにインタビューを収録(同日放送)。BBCラジオ『ワッカー・マック・シャウ』のためにジョージのインタビューを収録(11月27日放送)。
21日
カーライルのABCシネマで演奏。『テレビ・タイムズ』誌にビートルズ特集の3回目が掲載される。
22日
ストックトン・オン・ティーズのグローブ・シネマで演奏。2枚目のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」をリリースする。予約だけで30万枚を記録して、「プリーズ・プリーズ・ミー」を自ら蹴落としてチャート第1位になる。イギリスの国会でビートルズの警備の問題が議論される。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が29位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が30位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が24位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が4位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が23位。
23日
ニューカースル・アポン・タインのシティ・ホールで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が1位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が15位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が18位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が22位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が4位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が27位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が39位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が34位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が9位。ニュージーランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が5位。イスラエルのチャートで「ツイスト・アンド・シャウト」が10位。
24日
ハルのABCシネマで演奏。
25日
マンチェスターのグラナダ・テレビ・センターで疑似演奏とインタビューを収録(27日の『レイト・シーン・エクストラ』などで放送)。アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(Capitol Of Canada ST 6051)がカナダでリリース(カナダでのタイトルは『ビートルマニア・ウィズ・ザ・ビートルズ』)。
26日
ケンブリッジのリーガル・シネマで演奏。BBCテレビのニュース番組『イースト・アット・シックス・テン』にインタビューで生出演。『トゥディ』誌にビートルズの特集記事が掲載される。
27日
ヨークのリアルト・シアターで演奏。
28日
リンカーンのABCシネマで演奏。『テレビ・タイムズ』誌にビートルズ特集の最終回が掲載される。
29日
ハダーズフィールドのABCシネマで演奏。5枚目のシングル「アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド / ディス・ボーイ」をリリースする。予約は90万枚で、初登場第1位になる。病院の有線放送番組『ミュージック・ボックス』のためにインタビューを収録。『NME』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が初登場1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が16位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が26位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が6位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートの15位にも登場。
30日
サンダーランドのエンパイア・シアターで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が初登場1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が14位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が15位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が21位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が4位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が34位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が48位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が30位。アイルランドのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が9位。イスラエルのチャートで「ツイスト・アンド・シャウト」が9位。
   
12月 1日
イギリス・オータム・ツアーが続く。レスターのド・モンフォール・ホールで演奏。
2日
エルストリー・スタジオ・センターでアソシエイテッド・テレビジョンの番組『モーカム・アンド・ワイズ・ショー』のリハーサルと収録(1964年4月18日放送)。 ロンドンのグロブナー・ハウス・ホテルで行なわれたチャリティ・ショーに出演。
3日
ポーツマスのギルドホールで演奏。『トゥデイ』誌に2回目のビートルズの特集が掲載される。
4日
この日から3日間の休暇。
6日
『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が初登場1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が15位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が19位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が7位、ローリング・ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が25位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートでも11位に。南アフリカのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が1位。イスラエルのチャートで「シー・ラヴズ・ユー」が10位、「ツイスト・アンド・シャウトが8位。オフィシャル・ビートルズ・ファンクラブの会員に初めてのクリスマス・レコードが贈られる(以後1969年まで毎年無料で配布)。
7日
リバプールのエンパイア・シアターでBBCテレビ『ジューク・ボックス・ジュリー』の収録(同日放送)。ファン・クラブ北部地区会員のための特別公演としてエンパイア・シアターで演奏(公演のもようはBBCテレビによって撮影され、『イッツ・ザ・ビートルズ!』として同日放送)。BBCラジオ番組『トップ・ポップス・オブ・1963』のためにインタビューを収録(12月25日放送)。リバプールのオデオン・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が初登場1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が11位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が17位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が19位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が6位、フォアモストの「ハロー・リトル・ガール」が43位、シラ・ブラックの「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」が49位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が21位。
8日
午後ロンドンに飛び、ロンドン=ルイシャムのオデオン・シネマで演奏。
9日
サウスエンド・オン・シーのオデオン・シネマで演奏。シングル「ロール・オーバー・ベートーヴェン」/「プリーズ・ミスター・ポストマン」(Capitol Of Canada 72133)がカナダでリリース。
10日
ドンカスターのゴーモンド・シネマで演奏。オーストラリア人放送記者によるインタビューを収録(BBCトランスクリプション・サービスを通じて海外のみで放送)。『トゥデイ』誌に3回目のビートルズ特集が掲載される。
11日
スカーバラのフューチャリスト・シアターで演奏。
12日
ノッティンガムのオデオン・シネマで演奏。シングル「抱きしめたい」/「ジス・ボーイ(こいつ)」がオーストラリアでリリース。
13日
オータム・ツアー最終日。11月1日のチェルテンハムから始まったビートルズ・ショー・ツアーがサザンプトンでのコンサートを最後に幕を閉じる。ビートルズが訪れたのは33都市。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が12位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が17位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が29位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が11位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が20位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートでも14位に。
14日
ファン・クラブ南部地区会員のための特別公演としてロンドンのウィンブルドン・パレで演奏、3,000人のファンと握手する(握手会のもようはテレビおよびニュース映画用に撮影される)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が12位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が14位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が23位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が11位、ローリング・ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が17位。
15日
ABCテレビ『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』の収録(12月21日放送)。
16日
EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』がシルバー・ディスクを獲得。
17日
BBCラジオ『サタデイ・クラブ』の収録(12月21日放送)。『トゥデイ』誌に4回目のビートルズ特集が掲載される。「抱きしめたい」がはじめてアメリカのラジオでオンエア。ラジオ局はワシントンDCのWWDC。DJはキャロル・ジェイムズ。
18日
BBCラジオ『フロム・アス・トゥ・ユー』の収録(12月26日放送)。
20日
『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が14位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が20位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が12位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が15位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートでも17位に。
21日
クリスマス・ショーのプレビューとしてブラッドフォードのゴーモント・シネマで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が2位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が13位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が17位、EP『ザ・ビートルズ・ナンバー1』が25位、ビリー・J・クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が14位、ローリング・ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が15位。
22日
クリスマス・ショーのプレビューとしてリバプールのエンパイア・シアターで演奏。 ロンドンのジェシー・ニュース・シアターでニュース映画『ザ・ビートルズ・カム・トゥ・タウン』の上映が始まる。ABCTV「サンク・ユア・ラッキー・スター」クリスマス特別番組に出演する。
23日
ラジオ・ルクセンブルグの15分番組『イッツ・ザ・ビートルズ』の放送が始まる(3月30日まで週1回、計15回放送)。
24日
ロンドンのフィンズベリー・パークのアストリア・シネマで「ビートルズ・クリスマス・ショー」を開催する。16夜に渡り、1964年1月11日まで開催される。この日の出演後メンバーはショー終了後、ブライアン・エプスタインがチャーターしたジェット機でクリスマスを故郷で過ごすためリヴァプールに向かう。
25日
リバプールの家族のもとでクリスマスを過ごす。
26日
クリスマス・ショーに出演。キャピトルからのデビュー・シングル「抱きしめたい c/w アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」発売。初回プレスは20万枚。だが最初の3日間で25万枚を記録、翌64年1月10日には100万枚を突破する。
27日
クリスマス・ショーに出演。『NME』誌のチャートで「抱きしめたい」が1位、「シー・ラヴズ・ユー」が4位、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1位、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が2位、EP『ツイスト・アンド・シャウト』が13位、EP『ザ・ビートルズ・ヒッツ』が20位、クレイマー&ダコタスの「アイル・キープ・ユー・サティスファイド」が22位、ストーンズの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」が12位。なお『ウィズ・ザ・ビートルズ』はシングル・チャートでも15位に。
28日
クリスマス・ショーに出演。
29日
ブライアン・サマビル、ビートルズ専属の広報担当に正式に就任。
30日
クリスマス・ショーに出演。
31日
クリスマス・ショーに出演。
     

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