1962年の軌跡

1月 1日
ロンドンでデッカ・レコードのオーディションを受ける。結果は不合格。
4日
マージー・ビート新聞が行った人気投票で、ビートルズが1位になる。
5日
ポリドール・レコードから、トニー・シェリダンとビートルズによる My・Bonnie/Saints(ポリドールニューハンプシャー66833)がリリースされる。これはラベルにビートルズの名前がある最初のレコードとなる。
12日
キャバーン・クラブでのステージのあと、ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで演奏。メインとして予定されていたバンドが現れず、急遽ビートルズがメインをつとめる。
24日
エプスタインとビートルズとの間の契約書にビートルズ全員の署名が取り付けられる。(マネージメント契約は61年12月21日)
     
2月 5日
昼はキャバーン・クラブでランチタイム・セッション、夜はサウスポーとのキングスウェイ・クラブで演奏。この日は体調の悪かったピート・ベストに代わり、ロリーストーム&ハリケーンズ在籍中だったリンゴが臨時のドラマーをつとめる。
12日
BBCラジオのオーディションを受け、合格。
   
3月 7日
BBCラジオ「ティーンエイジャーズ・ターン/ヒア・ウィー・ゴー」の収録。バンドのイメージ・チェンジが必要だと考えたブライアン・エプスタインはお揃いのスーツを買い与える。
8日
前日に収録したBBCラジオ「ティーンエイジャーズ・ターン/ヒア・ウィー・ゴー」が放送される。
29日
リバプールの「The Odd Spot」で演奏。
Photographer: Alan Swerdlow
4月 5日
キャバーンで「Special Beatles Fan Club」を開催。
7日
カスバ・コーヒー・クラブとキャバーン・クラブで演奏。体調をくずしていたジョージはこの日と翌日のステージを休む
10日
スチュアート・サトクリフ他界。
13日
3回目のハンブルグ巡業。5月31日まで「Star Club」に出演。スチュアート・サトクリフの死を知らされる。
6月 6日
ロンドン郊外にあるアビー・ロード3番地のEMIスタジオで、ジョージ・マーティンプロデュースのもと、デモ・レコーディング。
9日
キャバーン・クラブで「BEATLES WELCOME CONCERT」が開かれる。
15日
レノン=マッカートニー・ソング「アスク・ミー・ホワイ」が初めて電波にのる。
21日
New Brightonにある「The Tower Ballroom」に出演。
Photographer: Mike McCartney
7月 1日
ジーン・ビンセントとともにキャバーンに出演 。
6日
リバプールにある「Royal Iris Riverboat」に出演。
Photographer: Mike McCartney
27日
New Brightonの「The Tower Ballroom
」で演奏。
Photographer: Arthur Miller
28日
Birkenheadの「The Majestic Ballroom」で演奏。
8月 16日
ドラムのピート・ベストがビートルズから脱退するようにと言われる 。
18日
ドラマーにリンゴ・スターを迎えての初のステージが、バーケンヘッドのヒューム・ホールで行われる。
22日
キャバーンで演奏。
23日
ジョンはリバプールのマウント・プレザント登記所でシンシア・パウエルと結婚 。式にはポール、ジョージ、ブライアン・エプスタインとシンシアの姉夫婦だけが参列した。
9月 1日
グロースターシア州ストラウドのサブスクリプション・ルームズで演奏。
2日
キャバーン・クラブでサンデイ・ナイト・セッション(9日、16日、23日、30日も)。
3日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション、夜はランカシア州ウィドニスのクィーンズ・ホールで初めての演奏。
4日
アビイ・ロードのEMIスタジオでデビュー・シングルのレコーディング・セッション。リンゴがメンバーになって初めてのレコーディング・セッション。アビイ・ロード・スタジオでデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」とジョージ・マーティンがデビュー曲候補として用意したミッチ・マレーの「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」をレコーディングする。
5日
キャバーンでイブニング・セッション。
6日
昼はキャバーン、夜はリアルト・ボールルームに出演。ジョンが「ビートコマー」の名前で書いた記事「オン・サフェアリー・ウィズ・ホワイド・ハンター」と、ポールがビートルズ初期の日々について語ったインタビュー「ア・リトル・ベア」(ポールのファミリー・ネームはMcArtneyと綴られている)が掲載された『マージー・ビート』誌が発売。
7日
チェシア州イルビーのニュートン・ダンシング・スクールで演奏。
8日
チェシア州バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。
10日
昼はキャバーン、夜はウィドニスのクィーンズ・ホールに出演。
11日
4日に引き続き、アビイ・ロード第2スタジオでデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ/P.S. アイ・ラヴ・ユー」をレコーディング。リンゴの代わりにセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトがドラムを叩き、リンゴは「P.S. アイ・ラヴ・ユー」ではマラカス、「ラヴ・ミー・ドゥ」ではタンバリンを担当。
12日
午前中、プロモーションのためロンドンのジャーナリストを何人か訪問。午後、空路リバプールへ戻り、夜キャバーンに出演。
13日
昼はキャバーン、夜はチェシア州チェスターのリバーパーク・ボールルームに出演。
14日
チェシア州ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームでサム・リーチ主催による恒例のイベント「オペレーション・ビッグ・ビートV」が開かれ、ビートルズをメインに6バンドが出演。
15日
チェシア州ノースウィッチにある(ビクトリー)メモリアル・ホールに出演。
17日
昼はキャバーン、夜はウィドニスのクィーンズ・ホールに出演。
19日
キャバーンでイブニング・セッション。
20日
キャバーンでランチタイム・セッション。ハンブルクでの日々についてのポールのインタビュー(今度は正しく綴られている)や、ビートルズがロンドンでレコーディングしたと伝える記事を載せた『マージー・ビート』誌が発売。
21日
ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで開かれた、ロリー・ストームの誕生日を祝うスペシャル・ショーに出演。NME誌がリリース間近の‘Love Me Do’に言及し、ビートルズの名前が初めて全国紙に載る。
22日
バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームに出演。
25日
チェシア州ヘズウォルのヘズウォル・ジャズ・クラブに出演。
26日
キャバーンで昼夜2回のショー。
28日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜は客船ロイヤル・アイリス号での船上ステージ。
29日
マンチェスターのオアシス・クラブに出演。
10月 1日
ブライアン・エプスタインと二度目の契約を結び、この時から5年間ビートルズのマネージャーとなる 。ビートルズの4人とブライアン・エプスタインのネムズ・エンター・プライズとの間に1967年末日に無効となる正式契約書が取り交わされる。
2日
キャバーン・クラブでランチタイム・セッション。
3日
キャバーンでイブニング・セッション。
4日
キャバーンでランチタイム・セッション。
5日
「Love Me Do / P.S.I Love You」でレコードデビュー。12月に17位となったのが最高。
6日
ランカシア州ウィドニスにあるドーソンズ・ミュージック・ショップでサイン会を行なったあと、チェシア州バーケンヘッドのヒューム・ホールで演奏。『ディスク』誌が「ラヴ・ミー・ドゥ」の新譜紹介記事を掲載。
7日
キャバーンでイブニング・セッション。
8日
ロンドンのEMIハウスでラジオ・ルクセンブルクの番組『ザ・フライデイ・スペクタキュラー』の収録を行なう(12日放送)。
9日
ジョン21歳の誕生日。プロモーションのためロンドンの音楽ジャーナリストや音楽誌を訪問。
10日キャバーンで昼夜2回のショー。 11日リアルト・ボールルームでリバプール大学主催のショーに出演。 12日昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームでリトル・リチャードがメイン・アクトをつとめたショーに出演。『NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)』誌にブライアン・エプスタインの会社ネムズの広告が初めて掲載。
13日
キャバーンでイブニング・セッション。
15日
バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームに出演。
16日
チェシア州ランコーンのラ・スカラ・ボールルームに出演。
17日
キャバーンでの昼夜2回のショーのあいまに、グラナダ・テレビの『ピープル・アンド・プレイシズ』に生出演し2曲を演奏。初めてのテレビ出演をはたす。
18日
『マージー・ビート』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が1位になる。
19日
キャバーンでランチタイム・セッション。『NME』誌にビートルズ・ファン・クラブの広告が初めて掲載。
20日
ヨークシア州ハルのマジェスティック・ボールルームに出演。
21日
キャバーンでイブニング・セッション。
22日
ウィドニスのクィーンズ・ホールで演奏。
25日
マンチェスターのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組『ヒア・ウィ・ゴー』のために4曲を公開録音(26日に3曲のみ放送)。8月にメンバーとなったリンゴにとってはまったく初めてのラジオ番組出演となる。
26日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はランカシア州プレストンのパブリック・ホールで演奏。『NME』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が27位。
27日
バーケンヘッドのヒューム・ホールで演奏。病院向け有線ラジオ番組『サンデイ・スピン』のためにインタビューを収録(28日放送)。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が48位。同誌および『ニュー・レコード・ミラー』誌がビートルズの特集記事を掲載。
28日
リバプールのエンパイア・シアターに初めて出演。リトル・リチャードら大物アーティスト8組にまじって2回のステージを行なう。
29日
グラナダ・テレビ『ピープル・アンド・プレイシズ』の収録を行ない2曲を演奏(11月2日放送)。
30日
4度目の巡業のため、空路ハンブルクに向かう。
11月 1日
4度目のハンブルク巡業開始。1日から14日まで毎晩数時間ずつ、合計49時間にわたってスター・クラブに出演。同じクラブにはリトル・リチャードも演奏に訪れていた。
2日
ビートルズが出演したグラナダ・テレビの番組『ピープル・アンド・プレイシズ』が放送される(10月29日収録)。
3日
『ニュー・レコード・ミラー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が32位、『メロディー・メイカー』誌では40位。
10日
『ディスク』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が28位、『メロディー・メイカー』誌では30位。
15日
夕刻、ハンブルグからロンドンに到着。ロンドンのホテルに宿泊。
16日
朝、プロモーションのための取材を受ける。午後、ロンドンのEMIハウスでラジオ・ルクセンブルクの番組『ザ・フライデイ・スペクタキュラー』の収録を行なう(23日放送)。
17日
ウォリックシア州コベントリーのマトリックス・ホールで演奏。ミッドランド地方(イングランド中部)で初めてのステージとなる。『ディスク』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が24位、『メロディー・メイカー』誌では28位。
18日
リバプールに戻り、キャバーン・クラブでイブニング・セッション。
19日]
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はスタフォードシア州スメジックのスメジック・バース・ボールルームと、同州ウェスト・ブロミッジのアデルフィ・ボールルームで演奏。
20日
ランカシア州サウスポートのフローラル・ホールで一晩に2回のステージ。
21日
キャバーンで昼夜2回のステージ。
22日
チェシア州バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。
23日
昼はロンドンのセント・ジェームズ・チャーチ・ホールでBBCテレビ出演のオーディションを受ける。夜はチェシア州ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで開かれた「第12回ランカシア・アンド・チェシア・アーツ・ボール」に出演。
24日
ウェールズ、プレスタティンのロイヤル・リド・ボールルームで演奏。『メロディー・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が24位。『ディスク』誌がビートルズの特集記事を掲載。
25日
キャバーンでイブニング・セッション。
26日
ロンドンのEMIスタジオでセカンド・シングルのレコーディング・セッション。「プリーズ・プリーズ・ミー」「アスク・ミー・ホワイ」「ティップ・オブ・マイ・タング」の3曲をレコーディング。
27日
ロンドンのBBCパリス・スタジオでラジオ番組『ザ・タレント・スポット』のために3曲を公開録音(12月4日放送)。23日に受けたテレビ・オーディションについて、「こちらからご連絡するまでお待ちください」という返事がBBCから届く。
28日
キャバーンでイブニング・セッションのあと、リバプールのデパート「ルイス」にある527クラブで演奏。
29日
バーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームで演奏。
30日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はランカシア州ニュートン・ル・ウィロウズのタウン・ホールで開かれた「ザ・ビッグ・ビート・ショーNo.2」に出演。ロンドンのEMIスタジオではジョージ・マーティンがセカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」/「アスク・ミー・ホワイ」のミキシングを行なう。『NME』誌に「ビートルズのファースト・アルバムはキャバーン・クラブでのライブ・レコーディングになる見込み」という記事が掲載される。『NME』誌の読者人気投票でビートルズが「ブリティッシュ・スモール・グループ部門」の第7位に選ばれる。
12月 1日
チェシア州ノースウィッチのビクトリー・メモリアル・ホールとバーケンヘッドのタワー・ボールルームで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が26位。『ディスク』誌が「ビートルズ、ヘレン・シャピロのツアーに参加予定」と報じる。
2日
ノーサンプトンシア州ピーターバラのエンバシー劇場で2回のステージ。メイン・アクトはフランク・アイフィールド。ビートルズは楽屋でテッド・テイラーからステージ用メイクの手ほどきを受ける。
3日
TWW(テレビジョン・ウェールズ・アンド・ウェスト)制作のテレビ・ショー『ディスクス・ア・ゴーゴー』に生出演する。
4日
AR(アソシエイテッド・レディフュージョン)制作の子ども向けテレビ番組『チューズデイ・ランデブー』に生出演する。ビートルズが出演したBBCラジオ番組『ザ・タレント・スポット』(11月27日収録)が放送される。
5日
キャバーン・クラブでイブニング・セッション。
6日
ランカシア州サウスポートのクラブ・ジャンゴで演奏。
7日
昼はキャバーンでランチタイム・セッション。夜はタワー・ボールルームで演奏。
8日
マンチェスターのオアシス・クラブで演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が24位。『ディスク』誌が「ビートルズのニュー・シングルが1月11日に発売」「ビートルズ、春にクリス・モンテスとトミー・ロウのツアーに参加予定」と報じる。
9日
キャバーンでイブニング・セッション。ジョージ・マーティンがリバプールを訪れ、ビートルズの演奏を聴く。
10日
キャバーンでランチタイム・セッション。
11日
チェシア州ランコーンのラ・スカラ・ボールルームで演奏。
12日
キャバーンで昼夜2回のステージ。ジョージ・マーティンがリバプールを訪れ、ブライアン・エプスタインの新しい契約アーチスト、ジェリー&ペースメイカーズに会う。ペースメイカーズはバーケンヘッドのマジェスティック・ボールルームに出演中。
13日ベッドフォードシア州ベッドフォードのコーン・エクスチェンジで演奏。 14日
シュロップシア州シュルーズベリーのミュージック・ホールで演奏。
15日
マジェスティック・ボールルームの夜のステージを終えたあと、『マージー・ビート』誌主催の人気投票授賞式で演奏。『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が24位、『レコード・リテイラー』誌では19位。『NME』誌が「ビートルズが1月にBBCテレビ『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』とBBCラジオ『サタデイ・クラブ』に出演」と報じる。写真は授賞式のときのもの。
16日
キャバーンでイブニング・セッション。
17日
グラナダ・テレビの番組『People and Places』に生出演(出演料35ポンド)し、2曲を演奏。
18日
5度目にして最後のハンブルク巡業開始。18日から31日まで、25日をのぞく毎晩数時間ずつ、合計42時間にわたってスター・クラブに出演。
19日
『ヒット・パレード』誌12月号にビートルズの特集記事が掲載される。
22日
『メロディ・メイカー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が22位。
27日
セカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」の初回プレスが始まる。
28日
ポップ・ミュージック系の各誌に、1962年のビートルズの活動をふりかえり、次のシングルの発売予定日などを告げた写真入りの広告が掲載される。
29日
『ニュー・レコード・ミラー』誌のチャートで「ラヴ・ミー・ドゥ」が17位。
31日
スター・クラブでのビートルズのステージがテープに録音される。

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